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概要編集

1947年9月28日生まれ。


愛称は座右の銘より「 草魂 」、他に「ミスターバファローズ」。


育英高等学校から1965年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。通算被本塁打(560本)と通算無四球(78無四球)の日本記録保持者。通算317勝は日本プロ野球歴代4位(左投手としては歴代2位)、うち先発勝利数288勝は日本記録。パ・リーグ最多記録となる最多奪三振を8回記録している。1985年引退


現役時代の背番号1は1985年以降、パ・リーグ唯一の永久欠番となっていたが、2004年シーズン終了後の近鉄とオリックスの合併(オリックス・バファローズ誕生)により失効とされた。


監督時代編集

現役引退後は指導者へと転身し、1993年から1995年途中まで近鉄の監督を務めた。

しかし、当時近鉄のコンディショニングコーチであった立花龍司と方向性の違いから対立、同年シーズン終了後に立花は退団。同時に立花を信頼していたエース野茂英雄吉井理人投手陣との対立を招くきっかけとなった。


そして野茂・吉井を二軍落ちさせた結果、1995年初めに野茂がメジャーリーグドジャースへ、吉井がヤクルトへとそれぞれ移籍した。

なお、野茂のメジャー移籍後の目覚ましい活躍はご存じの通りであり、これをきっかけに以降多数の日本人選手がメジャーリーグへと挑戦していくことになる(何の因果か、その中には野茂と共に鈴木政権時代の近鉄を離れた吉井もいた)。

このため、(あくまで結果論ではあるが)鈴木は日本人選手のメジャー挑戦のきっかけを作った人物ということもできるだろう。


監督辞任後は、テレビ大阪NHK野球解説者やスポーツニッポン野球評論家を務める。

2002年、野球殿堂入り

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