概要
和歌山県出身。甲子園強豪校であった箕島高から1983年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。この年の近鉄の同期には小野和義、村上隆行、光山英和らがいる。
プロ入り後
2年目の1985年に一軍デビュー。4年目の1987年にプロ初勝利を挙げる。
1988年は抑えとして24セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得。10.19のロッテオリオンズ戦にも登板していた。
1993年に先発に転向、1995年に西村龍次との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍する。この年は初めて規定投球回に到達し、チームの優勝にも貢献した。1997年までの3年間で2ケタ勝利を記録し、この年のオフにFA権を行使してMLBニューヨーク・メッツと契約。日本人で初めてFA権を使ってMLB入りした選手となった。
メジャーではメッツ、コロラド・ロッキーズ、モントリオール・エクスポズでプレーし、5年間で32勝47敗、防御率4.62の成績を残す。ロッキーズ在籍時には、MLBでは日本人選手史上初となる公式戦での盗塁を記録した。
2003年にオリックス・ブルーウェーブに入団。この年は初の開幕投手を務めるが2勝どまり。翌2004年は3試合登板にとどまりオフに戦力外通告が出されたが、球団再編でブルーウェーブがオリックス・バファローズになり、かつて近鉄でプレーした際に指揮を執っていた仰木彬が監督に就任するに伴って春季キャンプ中にテストを受ける。結果合格し、この年は6勝。翌2006年は7勝を挙げる活躍を見せた。
2007年は不振で中継ぎに降格、6月28日に平下晃司とのトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。そこで3試合登板にとどまり、オフに戦力外通告を受けて引退した。前述の10.19に出場した選手の中では最後にNPBを引退した選手となり、最後の所属も対戦相手のロッテであった。
現役引退後
北海道日本ハムファイターズにて2008年〜2012年・2016年〜2018年、福岡ソフトバンクホークスでは2015年、千葉ロッテマリーンズでは2019年〜2021年に、一軍・二軍の投手コーチを歴任。現場から離れていた期間は野球解説者をしていたほか、コーチ業と並行して筑波大学大学院にてコーチング理論を学んでいた。
2021年シーズン終了後から「ピッチングコーディネーター」の肩書でロッテに在籍し、翌2022年には野球日本代表「侍ジャパン」の投手コーチを兼任。同年オフには退任した井口資仁監督の後任としてロッテの一軍監督に就任した。
なお2023年のWBCまでは引き続き侍ジャパン投手コーチを兼任する。
背番号(プロ野球)
背番号 | 使用年 | 所属チーム | 備考 |
---|---|---|---|
36 | 1984年〜1988年 | 近鉄バファローズ | 選手 |
11 | 1989年 | 近鉄バファローズ | 選手 |
21 | 1990年〜1995年 | 近鉄バファローズ | 選手 |
24 | 1995年 | ヤクルトスワローズ | 選手 |
21 | 1996年〜1997年 | ヤクルトスワローズ | 選手 |
29 | 1998年 | ニューヨーク・メッツ | 選手 |
21 | 1998年〜1999年 | ニューヨーク・メッツ | 選手 |
21 | 2000年〜2001年 | コロラド・ロッキーズ | 選手 |
55 | 2001年〜2002年 | モントリオール・エクスポズ | 選手 |
55 | 2003年〜2004年 | オリックス・ブルーウェーブ | 選手 |
77 | 2005年 | オリックス・バファローズ | 選手 |
21 | 2006年〜2007年 | オリックス・バファローズ | 選手 |
24 | 2007年 | 千葉ロッテマリーンズ | 選手 |
81 | 2008年〜2009年 | 北海道日本ハムファイターズ | 1軍投手コーチ |
81 | 2010年 | 北海道日本ハムファイターズ | 2軍投手コーチ |
81 | 2011年〜2012年 | 北海道日本ハムファイターズ | 1軍投手コーチ |
77 | 2015年 | 福岡ソフトバンクホークス | 1軍投手コーチ |
81 | 2016年〜2018年 | 北海道日本ハムファイターズ | 1軍投手コーチ |
71 | 2019年〜2021年 | 千葉ロッテマリーンズ | 1軍投手コーチ |
21 | 2023年〜 | 千葉ロッテマリーンズ | 1軍監督 |
背番号(日本代表)
背番号 | 使用年 | 大会名 | 備考 |
---|---|---|---|
81 | 2022年 | 2023WBC | 投手コーチ(ロッテピッチングアドバイザー兼任) |
81 | 2023年 | 2023WBC | 投手コーチ(ロッテ1軍監督兼任) |
背番号21にこだわりを持っており、小中高の先輩である元西武ライオンズ監督東尾修の現役時代の背番号にあやかっていた。
人物
- ブログをやっており、そこでは趣味である競馬についてよく語られている。口調は独特で、一人称は「わし」。
- 雷が苦手で、ヤクルト・オリックスと屋外球場で一通り落雷を経験しては派手に炎上していた。
- ブログでは厚澤和幸コーチをよくオチに使う。また、選手に変わったあだ名をつけることがある。
- 某所ではうま味紳士と呼ばれている模様。理由は館山昌平と同じく顔が似ているだけで何の関係もないので注意。また、多田野数人とセットでアッー!なコメントがつくことも。どうしてこうなった。