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北別府学

きたべっぷまなぶ

鹿児島県出身の元プロ野球選手(1957~2023)。現役時代は広島東洋カープでプレーした。
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概要編集

1957年7月12日生まれ、鹿児島県曽於市出身。

ポジションは投手、右投右打。


(宮崎県立)都城農業高学校では1年生からエースとして活躍したが、甲子園には出場できなかったためこの時点ではまだ無名であった。1975年オフのドラフト会議にて、広島東洋カープから1位指名を受け入団。

2年目の1977年から先発ローテ入りし、翌1978年には10勝を達成。以降1988年まで11年連続2桁勝利を挙げ、川口和久大野豊とともに1980年代の赤ヘル黄金時代を牽引した。

1994年に現役を引退し、野球解説者としての仕事のほか、2001~2004年にはカープの投手コーチを務めた。


晩年は白血病を患い闘病生活を送っていた。2023年6月16日に65歳で逝去。

なお、この4日前の6月12日には杉下茂が亡くなっており、訃報の報道が北別府の命日と重なったため、共に200勝以上挙げた名投手の相次ぐ訃報に球界は悲しみに包まれた(背番号もともに20だった)。


人物・エピソード編集

  • 球威のあるタイプではないが、制球力には長けていた。まるで「精密機械」。
  • 1982年には35試合に先発し、キャリアハイの20勝を記録。
  • 1992年7月16日の中日ドラゴンズ戦で球団史上初の200勝を達成。現在は名球会に入っている。
  • 最高勝率記録は3回でセ・リーグ最多タイ。
  • 日本シリーズでは勝ち運がなかった。(11試合に登板、うち先発が6試合で0勝5敗。)
  • 鹿児島出身の宮崎育ちで、いかにも九州にありそうな苗字だが、北別府という姓は実は珍しく、人数だけで言えば、かの「源五郎丸」と同じか少ないくらいである。
  • 1999年に発見された小惑星「小惑星番号217726」は、闘病生活中の2022年に「Kitabeppu」と命名された。
  • ファミスタ」では、「きたへふ」という名前で登場していた。これは、平仮名4文字までという字数制限に加え、濁点半濁点も1文字としてカウントされることから「きたへ゛っふ゜」だと7文字になるため、こうなった。本人もこの名前は知っており、ファミスタが30周年を迎えた2016年に発売された「きたへふ」Tシャツを着用していた。

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