概要
2007年のシーズンオフ、広島東洋カープの新井貴浩はFA宣言を行った。
記者会見の際、新井は「辛いです、カープが好きだから」「FAなんてなかったら良かったのに」などと涙を流しながら発言し、広島ファンも「プロである以上、好待遇を求めるのはやむを得ない」と諦めて、新井を送り出そうとしていた。
ところが新井はその会見の直後、阪神タイガース関係者と満面の笑顔で会食している姿を目撃される。
広島ファンは「何が『辛いです』だ!」「出来レースじゃないかよ!」と激怒し、新井は一転して悪役になってしまった。
そして2010年。8月一杯でカープの本拠地であった旧広島市民球場が閉鎖・解体される事になり、思い出の球場との別れを惜しむファン達のバックヤードツアーが行われた。
その様子は8月31日に広島ホームテレビで放送された。案内役を務めた「カープかたりべの会」メンバーが、カープの選手達のサインが寄せ書き風に書かれている一角を紹介するが、誰かのサインが不自然に消されていた。案内役はそこを指さして、
「ここちょっと消えてますね、25番という選手がいたんですけど」
と説明した。言うまでもなく新井のサインである。消したのは誰かは不明であるが、とにかく新井はサインも残させてもらえない、名前も呼んでもらえないという、存在そのものが黒歴史扱いになっているという現実が如実に示された一幕であった。
そしてさらに時は流れ2014年オフ、阪神を自由契約になった新井は広島に電撃復帰。
新井が広島に復帰した直後の日南秋季キャンプ期間中、丸佳浩・石原慶幸らの主催による焼肉パーティーが開催された。そのタイトルは「新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会」(略して「ツラ迎会」)だったという。
複雑な心境の広島ファンに成績で示すがごとく活躍を見せ、2016年にはMVPを獲得し、チームを25年ぶりのリーグ優勝に導いた。ようやく彼は許された……のかもしれない。
25番という監督爆誕
2022年シーズン終了後、新井が翌年から広島の監督に就任する事が決定。背番号も現役時代と同じ25番のため、一部からは「25番という監督」と呼ばれている。
この25番は当時預かり番号であった。ちなみに冗談込みと思われるが永久欠番の15を提案したところあっさり本人から許諾が取れたらしく、「15番という監督」になっていたかもしれない。
補足
偶然にも広島関連では新井の引退と同時期に9番という選手が誕生している。
この名称が生まれてから10年以上経過している現在では、前球団ファンから他球団へのFA移籍経緯などにより絶許扱いされている選手、あるいは日頃のプレーや行状などで当該チームのファンから高いヘイトを受けている選手や首脳陣などに対して「○番という選手」と呼称するネタが他球団にも波及しており、「○番という選手」の他にも「名誉外様」や「■■(一番最初に表記されたのはこの人)」といった類似表現もある。
関連タグ
25番というフレンズ:「アライさん」というキャラつながりのネタなのだ。
???:元西武。こちらは移籍前にポスターとグッズとグルメが消えた。なお移籍後の背番号は「25」であり、「25番という選手・令和版」と言われることもある。
筒香嘉智:元横浜の25番。元メジャーリーガーで、日本に帰国する際に他球団への移籍が濃厚になり、「横浜の25番という選手」と揶揄された。なお結果は古巣・横浜へ復帰し、「25番という選手」とは呼ばれずに済んだ。ちなみに横浜復帰後の背番号もかつてと同じ「25」である。