プロフィール
所属 | 北海道日本ハムファイターズ(21) |
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出身 | 東京都 |
生年月日 | 1999年5月25日 |
身長・体重 | 184cm、102kg |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2017年ドラフト1位 |
経歴
アマチュア時代
父親はラグビーの元選手・指導者の清宮克幸。
早稲田実業中学校から早稲田実業高校へ進学、1年生ながら夏の甲子園には3番一塁でレギュラーとして活躍。在学3年間で高校通算本塁打111本という偉大な記録を達成した。
高校最後となる2017年は惜しくも甲子園出場はならなかったが、U-18世界選手権では日本代表の主将を務めた。
その後は大学進学かプロ入りか注目が集まったが、9月22日にプロ志望届を提出することを決意し、同月25日にプロ志望届を提出した。
2017年のドラフト会議では、甲子園で活躍を残した広陵高校の中村奨成と共に、高卒プロ志望者の2大巨頭となっており、ドラフト当日では7球団1位指名競合という激しい争奪戦が繰り広げられ、結果、北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得した。
その後、11月24日に入団会見が行われ、背番号は「21」となった。
大器と期待された一方で、高校時代から膝や腰が悪い事や打撃が体格任せな点が懸念点となり、その点から「プロでの活躍の見込みはない」と酷評する意見も一定数あった。
プロ入り後
高卒ルーキーで有りながら、一軍のアリゾナキャンプに召集され大きな話題になるも、オープン戦に入ると高校とプロのギャップに合わせるのに苦心したのか、不振を極めた。
また、開幕直前に腹膜炎を患い、開幕一軍も消滅。
ここでファイターズ首脳陣は焦らず、清宮の回復を待つ事を公言。療養と2軍での調整を経て、5月2日対楽天戦で一軍デビューを果たし、当日来場した観客には「清宮一軍デビュー観戦証明書」が発行された。
この試合の初打席で、あわやスタンドインとなりそうだった二塁打を記録。
そしてここから清宮の快進撃が始まる。
翌日以降の試合も毎試合ヒットを刻み5月6日には高卒ルーキー新記録となる5戦連続、5月8日には大卒ルーキー記録に並ぶと、5月9日の対オリックス戦の第一打席にはルーキーイヤー新記録となる7戦連続安打記録がプロ入り初アーチとなった。プロ1年目は打率2割、7本塁打、18打点だった。
しかし、その後はなかなか成績が伸びず、2021年にはシーズン通して二軍で過ごす試練の日々となった。
転機になったのは2022年、かつて球界を騒がせた新庄剛志がBIG BOSSを名乗り、ファイターズの新監督に就任。いざキャンプが始まると新庄BIG BOSSは清宮に「デブじゃね? ちょっとやせない?」と清宮の脂肪をつまみながらダイエットを指示。
これを機に清宮の体重は大きく変化し、以前までとは見違えるようにスマートな体形となった。
ファイターズは開幕から6連敗と大きく苦しんだが、その間も清宮はホームランを打つなど暗い雰囲気のチームでも奮起する。7月にはシーズン第8号を決め、自己シーズン記録を更新。そしてオールスター戦に初出場を果たす。
BIGBOSSからは「MVPを取ってきてくれ」と指令を受け、本人も「ホームラン打ってMVPを取ります」と決意表明をするが、第一戦で本当にサヨナラホームランを決めてMVPに輝いた。
2022年シーズンはチームトップの出場129試合、18本塁打、55打点と打撃成績チーム2冠を達成。だが打率.219、出塁率.305と確実性は低く、打点や本塁打もこの水準でチーム2冠を取れるという事は、現状では「弱いが使わざるを得ない」という立ち位置であった。
2023年は一時離脱もありながらチームの強打者として磨きをかけた。アマチュア時代からほとんど一塁手の守備位置しか就かず、「ファースト専」と守備位置の融通性の低さを指摘されることもあったが、この年からほぼ三塁手で固定された。このシーズンは打率、打点、本塁打の成績においてチームメイトの万波中正に劣り、一時期メジャーへの意欲を見せていただけに野球ファンからも「まずは万波を超えなければ」というツッコミが入った。