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中嶋聡

なかじまさとし

秋田県出身の元プロ野球選手で、ポジションは捕手。様々な「最後」の記録を持った選手であった。

概要

鷹巣農林高から1986年ドラフト3位で阪急ブレーブスに指名され入団。
阪急でプレーしたことのある最後の選手であり、「最後の阪急戦士」とも呼ばれた。
また、実働年数は29年。これは工藤公康と並んで歴代1位の記録である。
1988年の阪急最終戦・山田久志の引退試合で3ランホームランを打ったのだが、これは「阪急最後のホームラン」となると同時に「昭和最後のホームラン」となった。

レギュラー定着は1989年、球団名がオリックス・ブレーブスに変わってから。中嶋の武器である強肩を武器に、また打撃センスも優れていたために「メジャーリーグに一番近い捕手」と呼ばれたこともあった。しかし、徐々に打撃が低迷したため出場機会が減っていった。

1997年のオフにFA宣言し、アナハイム・エンゼルスの入団テストを受けたが、結局は西武ライオンズに移籍。しかしライオンズでは伊東勤が不動の正捕手を務めており、レギュラー争いに敗れた。2003年オフに横浜ベイスターズに移籍するも、18試合出場に終わる。

2004年北海道日本ハムファイターズに交換トレードで移籍。
2005年高橋信二の故障などで、捕手でチーム最多の出場機会を得る。2006年以降はMICHEAL専属の「抑え捕手」となった。
MICHEALの移籍後は大野奨太鶴岡慎也との併用起用のため出場機会は激減。それでも年に数試合は出場している。

2007年からは一軍バッテリーコーチを兼任するようになり、登録抹消時もコーチとして一軍に帯同していた。出場機会はほとんど無く(何しろ現役最後にヒットを打ったのが2009年である)、事実上コーチが本業だが、一軍の捕手に故障者が出たときなどに稀に出番がある。
なぜここまで長く選手登録されていたかと言うと、日ハム特有の事情があるため。
日ハムの一軍本拠地は北海道であるが、二軍の本拠地は千葉県鎌ケ谷市とかなり遠くにあるため、一軍捕手にアクシデントがあった際に二軍から選手を緊急昇格させることが難しい。そのため、一軍に常時帯同している中嶋は何かあったときの「保険」の役割を果たしているのである。中嶋はもう選手として体のコンディションを保つのは年齢的に厳しいので、引退させて欲しいと申し出たこともあるらしいが、上記の理由の為にむしろ引退させて貰えないという実情がある。
2015年限りで現役を引退し、チーム統轄本部のゼネラルマネジャー特別補佐に就くことが発表された。MLBサンディエゴ・パドレスへのコーチ留学も予定されている。



人物

上述でも説明した通り、強肩強打の名捕手で、40代となった現在でも健在で2006年阪神タイガース戦前に行われたスピードガンコンテストでは、最速146km/hをたたき出して自身よりはるかに若い年齢の選手を抑えて優勝したこともある。
全盛期の中嶋の活躍はアマチュア球界でも知られており、古田敦也がプロ入りするに「中嶋選手のいるオリックスだけは遠慮したい」と言っているとまで言わしめている。

その強肩で外せないエピソードと言えば1990年9月20日での日本ハム戦(東京ドーム)である。
この試合での先発投手の星野伸之の投じたすっぽ抜けたカーブを中嶋が右手で直接捕球し、星野を超える140キロの球速で返球したことで場内から爆笑が起こったのである。その回の日本ハムの攻撃後にベンチへ帰る際に星野から「素手で取るのはやめてくれ」というも「ミットが届かんかった」とごまかしていた。
なお、練習の時から星野伸之とバッテリーを組んでいた時、星野のスローカーブを右手で直接捕球したこともあった。なお、普段から「星野が中嶋に投げる球よりも中嶋が星野に返す球の方がが速い」と言われていたようである。

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