プロフィール
経歴
東海大相模高校卒業後にプロ入り。高校時代は65本のホームランを打つ超強打者として名を馳せていた。
2008年シーズン終了後のドラフト会議において、読売ジャイアンツに1位指名され入団した。
ポジションは高校時代は遊撃手だったが、プロ入り後は主に三塁手担当。背番号は松井秀喜の番号だった55を与えられ、将来を期待されていた。
2015年には1軍に60試合出場し自身最高打率.277をマークしたが、読売ジャイアンツに在籍していた8年間は贔屓目に見てもパッとせず、背番号も44へ変更。「入団して8年間、1軍ではいい成績を残すことができなかったのを悔しく思っています」と本人は語る。
2016年のシーズン終了後、トレードにより北海道日本ハムファイターズに移籍。(プレッシャーのかかる巨人時代と比べて)のびのび出来る環境であったため、巨人8年間で打ったホームラン合計数を移籍初年度でいきなり上回るほどの覚醒を見せている。2018年からはメジャーで採用され始めた打線の組み方である「2番に強打者」が採用された影響もあり、2番バッターとして活躍した。2019年からは1ケタ背番号・5を着用。
2021年は年俸1億円超の割には打率が大幅に下がってしまい、シーズン終了後日本ハムを自由契約に。その後、手薄だった右の外野手を探していた横浜DeNAベイスターズと契約(背番号は0)、2024年まで現役でプレーした。
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