概要
フルネーム | Clayton Edward Kershaw(クレイトン・エドワード・カーショウ) |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身 | テキサス州ダラス |
生年月日 | 1988年3月19日 |
身長・体重 | 193cm、102kg |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2006年MLBドラフト1巡目(全体7位) |
所属 | ロサンゼルス・ドジャース(2008-) |
経歴
2005年にはU-18アメリカ代表に選出されており、翌2006年にはUSAトゥデイから最優秀高校選手に選出された。
2006年のMLBドラフトにてドジャースから1巡目(全体7番目)で指名され、契約。
2008年5月25日の対カーディナルズ戦でメジャー初登板。デビュー戦は6回2失点で勝敗はつかなかった。
2011年に投手3冠を獲得し、サイ・ヤング賞を受賞。メジャーを代表する投手になった。
2014年6月18日の対ロッキーズ戦ではノーヒットノーランを達成した。
これまでにサイ・ヤング賞を3回獲得、2014年はレギュラーシーズンMVPにも選ばれている。
2010年代のドジャースのエースとして認識されている一方で、ポストシーズンでは脆さが度々見られ、彼の不振がチームの敗退に繋がったことから逆ミスターオクトーバーなどと揶揄されてきたが、2020年には自身初のワールドシリーズ優勝メンバーになった。
2023年シーズン終了後にフリーエージェントとなる。
既に選手としてはベテランの域に達していた事や、シーズン終了と同時に右肩の手術を受けたこともあり、現役続行か否かも含めてその去就が注目されていたが、2024年2月にドジャースと単年契約で合意したことが発表され、少なくとも2024年シーズンの間はドジャースでプレイすることが確定することとなった。ただし、投手としての復帰は遅くともオールスターゲーム明けにずれ込む見通しとのこと。
プロ入りから一度も移籍せずにドジャース一筋を貫き通しており、アストロズのホセ・アルトゥーベやエンゼルスのマイク・トラウトなどと並び、MLBでも希少なフランチャイズ・プレイヤーとなっている。
日本人選手との関係
2008年から2011年までチームメイトで、彼を慕い、移籍する際にドジャースに残ってほしいと語り、結局移籍したが黒田もカーショウと勝負したくないためにナショナルリーグは避けたという(実際、黒田が移籍先に選んだのは交流戦でもドジャースとの対戦カードを組まれることが殆ど無いヤンキースだった)。
また、あるインタビューで「将来黒田のいる広島東洋カープでファーストの守備に就きたい」と語ったこともある。あくまでリップサービスであろうが、彼が黒田をどれほど慕っていたかがうかがえるエピソードである。
2018年にドジャースに在籍していたことから、彼とも交流がある他、ダルビッシュの紹介で藤浪晋太郎とも合同自主トレを行うなど親交が深いという。
メジャー移籍を表明した際に、自身の結婚記念日の予定をキャンセルしてまで熱心な勧誘活動に当たったが、結局大谷がエンゼルスへの入団を決めてしまったため、これを知ったカーショウは「時間の無駄だった!!」と激怒したという(もっとも、当時ナショナルリーグはDH制を採用していなかったため、投打の二刀流でプレイすることを望んでいた大谷とは条件が合わなかったのだが)。
その後、大谷の活躍を受けて、ナ・リーグでもDH制を採用することが決まり、こうした環境の変化も追い風となり、2023年のシーズン終了後に大谷はドジャースへと移籍。この時には、カーショウも大谷の実績を評価するなど、両者の間に蟠りはなくなっており、キャンプに合流した際には報道陣に対して大谷を歓迎するコメントを残している。
なお、エンゼルス時代に大谷とカーショウは何度か対戦しているものの、大谷はオールスターゲームでカーショウから単打を1本放ったのみで、公式戦では11打数無安打と徹底的に抑え込まれ、終ぞカーショウを攻略することはできなかった。
大谷と同年にドジャースに移籍してきた日本の若きエース。
肘に負担を掛けない彼の独特の投法や、自主的に取り入れているやり投げのトレーニングに興味津々の様子で、「自分も復帰のためにやり投げを取り入れようかな」と冗談交じりに語っていたという。
余談
- 冥王星を発見したことで知られる天文学者のクライド・トンボーは彼の大伯父(母方の祖父であるロバート・トンボーの兄)に当たる。ただし、母:マリアンヌ・トンボーはロバート・トンボーの養女であったため、カーショウとクライド・トンボーに直接的な血縁関係はない。
- NFLロサンゼルス・ラムズのエースQBマシュー・スタッフォードとは幼馴染で、少年時代は野球でバッテリーを組んでいたこともあったと云う(投手:カーショウ、捕手:スタッフォード)。
- マイク・トラウトからの勧誘を受け、第5回WBCにアメリカ代表として出場する予定であったが、保険の加入等の手続きで折り合いがつかず、結局断念せざるを得なかったという。もしも彼が出場していれば、日本代表にとってとんでもない難敵になっていたであろうことは想像に難くないだろう。