経歴
下の名前「佑京(うきょう)」はF1レーサーの片山右京から取って名付けられた。
内野手・外野手のどこでも守れるユーティリティープレイヤー。
東京農業大学第二高校時代は、3年時に群馬大会決勝に進出するも敗れ甲子園出場は果たせなかった。東京農業大学(北海道オホーツクキャンパス)に進学後は全日本大学野球選手権や明治神宮大会でもプレー。この頃から既にその俊足振りの片鱗を見せており、4年間で通算40盗塁を記録。その走塁技術を評価され2017年オフのドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成2位指名を受けプロ入り。
プロ1年目・2018年は二軍・ウエスタンリーグの試合でリーグトップの27盗塁を記録すると、翌2019年のシーズン開幕前に支配下登録へ昇格。同年は一軍の試合で主に代走からの出場や守備固めとして起用され、チームトップの25盗塁を記録。2020年には、それまで福本豊が持っていた11試合連続を上回る13試合連続盗塁のNPB記録を達成したほか、両リーグ最多の50盗塁を記録しパ・リーグ盗塁王を獲得。2021年以降はレギュラーとしてスタメンでの起用も増えた。
一塁到達タイムは3.69秒、50メートルを5.7秒。プロ野球でもトップレベルの俊足は「周東は一塁でも得点圏」、競馬好きの同僚柳田悠岐から「アーモンドアイよりも速い」とまで称される。その韋駄天ぶりに「二盗・三盗・周東」というキャッチフレーズも生まれた。
侍ジャパンでの活躍
代走要員として国際試合の日本代表に招集される機会もある。
WBSCプレミア12(2019年)
大会最多となる4盗塁を記録し、日本代表の優勝に貢献した。
WBC第5回大会(2023年)
この大会では合計5試合に出場したが、特に準決勝のメキシコ戦での劇的な走塁撃で多大なインパクトを残すことになった。
この試合では、1点のビハインドで迎えた9回裏に吉田正尚の代走として起用され、村上宗隆がセンターへヒットを放った際に一塁から本塁へ一気に生還してサヨナラ勝ちに繋げている。この際の最高速度はアメリカのアナリストの計測で時速33.4kmとされ、原付よりも速いと賞賛された。
ちなみに、仮に周東を代走として起用していなかった場合、逆転ランナーの本塁への生還が間に合わずに逆転できなかった可能性が非常に高(※)く、野球ファンの間では、「あの逆転劇の陰の功労者は間違いなく周東だった」「迷わずに周東を代走として送り込んで勝負に打って出た栗山監督の采配が見事に的中した」と言われることが多い。
※ 『MLB The Show 23』の「WBCモード」では、このメキシコ戦の9回の村上の打席を再現したモードもある(パワプロにおけるシナリオモードのようなもの)のだが、この時は1塁走者が吉田のままなので、史実通りの打球を打っても逆転に失敗することが多々ある。このため、「走者が周東でなければ逆転できなかった」という推測は強ち間違いではない。
- あれこれ
- 9回が始まる前に、先頭打者を務めた大谷翔平から「出番があるだろうから準備しておけ」と声を掛けられていたといい、実際にその通りになったためにベースに立った際に大谷を指さしながらニヤッと笑っている(この様子は試合を中継していたカメラにもバッチリ映っている)。
- 準決勝終了後は、前を走っていた大谷に対して「翔平さん、遅すぎて抜きそうになったわ」と揶揄っていた(ただ、さすがに周東程ではないにせよ、大谷の走力もそれなりにある。また、大谷はこの時外野が村上の打球を捕球できなかったことを確認してから走り始めたの対し、周東は村上が打った直後から全力疾走していたことにも留意する必要がある)。
- 決勝前に周東が「(アメリカ代表のキャプテンである)トラウトのサインが欲しい」と言い、これを聞いた水原一平通訳がトラウトに頼んだところ、選手やスタッフ全員分のサインボールが贈られてきたという。当然、選手たちは喜んだが、同時にどこか気の緩みのようなものが生じてもいたため、今一度気を引き締める意味も込めて、大谷選手はあのスピーチをしたらしい。
- ちなみに、周東は大谷の件のスピーチを「ここにいるみんなが憧れているのは大谷さんなのに何を言っているんだ」と心の中でツッコミを入れていたという。もっとも、大谷がそのスピーチをする羽目になったのは周東の何気ない一言がきっかけだったのだが…。