概要![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
学校教育法第72条においては、)視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者、または病弱者(身体虚弱者を含む)に対し、幼稚園、小学校、中学校または高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上または生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的としている」学校と定義されている。このほか精神疾患(主に「病弱者」の中に含まれる)を抱える児童・生徒を受け入れている学校も存在する。
知的障害を伴わない発達障害者・情緒障害者に関しては、(研究指定校などを除いて)中学校以上のクラスを設置している学校はほぼない。このため、多くは一般の学校の特別支援級へ通級や、学外の療育に並行して通うといった形で対応がなされる(重度の場合や、病弱・身体障害を併発している場合を除く)。
かつては「養護学校」と呼ばれており、視覚障害に関しては「盲学校」、聴覚障害に関しては「聾学校」と分けられていたが、2007年よりこの名称に一本化した。
しかし、それまでの校名を引き継ぐ形で「盲学校」「聾学校」「養護学校」と名乗っている学校もある(特に聴覚障害者はコミュニティの特異性から「聾(唖)学校」の名称に誇りを持つ者も少なくなく、名称変更の反対意見が多かった)。
他にも、一般の学校のように「○○学園」や「○○高等学校」と名乗る学校も存在している。
対応する学校の教育課程・学習指導要領に準じた指導に加えて、それぞれの障害の種別に応じて自立のために必要な能力を身につけるための教育、また本人の特性に合わせたカリキュラムが構築される。どのような障害に対処しているかは学校によっても異なり、また自分にあったコースの学校が地元にない生徒も少なくないため、寮が併設されているところも多い。
例えば視覚障害者であれば点字、聴覚障害者であれば手話などの学習を受け、学校によっては鍼灸師やあん摩マッサージ師の資格を取得することも可能である。
脳性麻痺患者などに対してはリハビリも行われ、学校やコースによっては看護師や理学療法士などの医療専門職員も勤務する。特に病弱児童・生徒を対象とした学校の場合、院内学級として病院に併設もしくは隣接する形で設置してある事が多い。
幼稚園・小学校から高校まで通うケースが多い(※特別支援中学校や一貫校の中学部から支援高校・高等部への進学率は90%以上と高い)が、障害の状況や個人の家庭の事情などにより、途中で普通学級から転校する者、逆に普通学校へ進学する者など様々である。
大抵の学校で、重複障害者もある程度受け入れているが、視覚・聴覚両方に障害がある盲ろう者や、先天性の障害・事故等で手足の両方を欠損しているような場合、学校の規模や医療体制によっては受け入れ困難である場合がある。
また本人の生活能力や障害・疾患の程度によっては、配慮を受けたうえで普通学校に通うケースも少なくない。例えばサリドマイド胎芽病児として両手のない状態で生まれた辻典子(現:白井のり子)や、テトラ・アメリア症候群により先天的に四肢欠損障害を持つ乙武洋匡は、小学校から普通学校に通ったが、両名とも重複する障害や疾患がなく、教育の面でも(支援を受けながらではあるが)社会生活に順応できたという点が大きい。
また、一部の学校では「インクルーシブ教育」として、一般校・一般クラスへの部分的な受け入れを行っている学校も存在するが実施校は限定的であり、体制も学校によって差が大きい。
特別支援学校卒の有名人![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
※養護学校呼称時代の卒業生も含む
- 濱田祐太郎(お笑い芸人。兵庫県立視覚特別支援学校卒)
- 新垣勉(テノール歌手。沖縄県立沖縄盲学校卒)
- 麻原彰晃(カルト宗教家、熊本県立盲学校卒)
- 辻井伸行(ピアニスト、筑波大学附属視覚特別支援学校卒)
- 金澤翔子(書道家、東京都立矢口特別支援学校卒)
- 東田直樹(作家、千葉県立君津養護学校卒。高校は普通学校の通信制)
- 立道聡子(ミュージシャン。筑波大学附属視覚特別支援学校卒)
- 米良美一(歌手、赤江まつばら支援学校卒。大学は音楽大学に進学)
- 今井礼夢(プロレスラー。東京都立立川ろう学校卒)
- 木村英子(政治家。神奈川県立平塚養護学校卒。日本では初めての、最終学歴が特別支援学校卒の国会議員である)
- 寺坂直毅(放送作家。中学の途中で養護学校に転校し卒業。高校は一般の定時制高校に進学)