プロフィール
人物
本名非公開。芸名は師匠である緒方賢一の命名で、実家の前にわさびが自生しているという話をしたところ「実家にわさびがあるから『わさびちゃん』がいい。わさびは水田(すいでん)に生えるから『水田わさび』だ」となったというエピソードを明かしている。
『ドラゴンボール』の野沢雅子の演技に憧れて声優を志し、三重県立名張桔梗丘高等学校卒業後に上京して劇団すごろくに入団。しばらく裏方の仕事をした後に舞台女優として活動を始める。
舞台を見にきていたたてかべ和也の勧めで1996年から声優活動も行うようになり、のちに声優業に軸足を移した。
2005年より、テレビ朝日版『ドラえもん』にてドラえもん役を務める。
元々旧作(大山のぶ代版)で端役を演じることがあり、あるとき収録後に一人残されてドラえもんの台詞を読み上げるように指示されたのが一番最初のオーディションであったと明かしている。
高めで鼻にかかった、ダミ声にも近いような特徴のある声質である。しかもこれが生来の地声に近いらしい。
声優としては少年役や動物・マスコットキャラを多く演じ、ギャグからシリアスな演技までさまざまに演じ分けている。また、中高年の女性や、三重県出身ということで関西弁を話すキャラクターも時々演じている。
ナレーションの際はキャラクターの演技とはまた異なる穏やかな女性らしい声を用いており、近年では『ラヴィット!』などが有名である。
広島出身の父の影響で大の広島東洋カープファン。本人は中高とソフトボールをやっていた。
夫のことは「わさ夫」、長女は「子わさ」、次女は「わさ子」とそれぞれ呼んでいる。
ドラえもん関連のエピソード
ドラえもんの後継者となるまでは、声優としての代表作といえるアタリ役がなく、自身の声へのコンプレックスも抜けきっていなかったこともあって、合格の一報を受けた時には号泣したという。
交代した当初はそれまでの「大山ドラえもん」で慣れた視聴者からの戸惑いの声が多く、一部から激しいバッシングを受けていたこともあって、いつクビにされるかと戦々恐々だったとか。
しかし映画『ドラえもんのび太の恐竜2006』の製作が現キャストで決まったことを受け、ようやく安心できたと語っている。
合格してすぐ、藤子・F・不二雄を「崇拝」する夫に「お前には務まらない。やめるなら今だ」と言われ「それほど大きな作品のキャラクターを演じることになるのか」と実感し、一生忘られない言葉となったという。しかし、その後は夫も仕事を応援しており、家族の存在が励みになっているとブログなどに綴っている。
オーディションは最初のうちは抜き打ちに近い形で行われており、ある時はテレビ朝日で放送されていた『あたしンち』の収録時に「いつもより30分早く来てほしい」と言われ、スタジオに行くと『ドラえもん』の原稿を渡されてオーディション用の音声を録音することになったという。
楠葉宏三監督は新キャストの選考理由として「一番求めたのは、素直さ、声の新鮮さ。そういうところで5人を選んだ。」とコメントしており、あえて旧キャストそっくりではない演技・声質のメンバーが選ばれたようである。
二人目の子供はドラえもん役を演じるようになってから生まれたが、出産当時陣痛がひどくてナースコールをした際、その必死な声があまりにもドラえもんに寄りすぎた為に、意図せずナースステーションを爆笑の渦に叩き込んでしまったという、声優ならではの苦労も経験した。
2024年10月に大山のぶ代さんの訃報を受けてコメントを発表し、「とてつもなく大きなバトンを受け取りました」と率直な思いを語り、「今も演じる中で、大山さんがマイクの前に立つ背中を思い出します。これからも何度も思い出します。その背中に届くように、のび太君たちとこれからも冒険します」と決意を述べ「長い間、本当にありがとうございました」と大山さんを追悼した。
出演作品
※松島みのりの後任
※イラスト未確認
外部リンク
テレビ朝日公式サイト内の水田わさび公式ドラえもん関連の情報ブログ『わさドラブログ』