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概要編集

1989年6月24日生まれ。

岡山県出身。ポジションは投手で右投右打。


高校・大学時代編集

広陵高時代は唐川侑己(成田高校→千葉ロッテマリーンズ)、熊代聖人(今治西高校→埼玉西武ライオンズ)、田中健二朗(常葉菊川高校→横浜DeNAベイスターズ)らと対戦。3年夏の甲子園決勝では佐賀北高を相手に7回まで被安打1に抑えながら、8回に逆転満塁弾を浴びて敗戦、佐賀北の初優勝を許した。高校時代の先輩には藤川俊介(阪神タイガース)、吉川光夫(北海道日本ハムファイターズ)、同級生には土生翔平(広島東洋カープ)、小林誠司(読売ジャイアンツ)、後輩に中田廉(広島東洋カープ)、上本崇司(広島東洋カープ)がいる。


明治大学に進学後は1年時からエースとして君臨。4年次には2011年明治神宮野球大会における明治大学優勝の原動力となり、東海大学の菅野智之(読売ジャイアンツ)、東洋大学の藤岡貴裕(千葉ロッテマリーンズ)と共に大学BIG3と呼ばれた。

2011年ドラフトで広島東洋から1位指名を受けてプロ入り。


プロ入り後編集

2012年4月8日にプロ初勝利を挙げるなど、ルーキーイヤーから先発ローテの一角を担った。前半戦は7勝を挙げてオールスターゲームにも出場したが、後半戦に失速。澤崎俊和以来のチーム新人2ケタ勝利は逃したが読売ジャイアンツ堀内恒夫以来となる新人投手防御率1点台をマーク。千葉ロッテマリーンズ益田直也とともに平成生まれ初の新人王を獲得した。


2016年のシーズンはMLB移籍した前田健太の代わりに序盤からクリス・ジョンソンと共に先発の柱としてWエースとして活躍し、最終的には16勝3敗で最多勝のタイトルを獲得、カープの25年振りの優勝に貢献した。この年以外では2013年、2017年に規定投球回数に到達。


球速の高速化が進むなか制球力で勝負するようになっていったが、負傷離脱も経験し2021年以降は1軍出場機会が激減、2024年シーズンをもって現役を退いた。


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