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概要編集

1956年11月1日、熊本県宇土郡三角町生まれ。右投げ右打ち。中学生の時に野球を始めたが、そのかたわら陸上大会にも参加していた。

鎮西高校を経て中央大学では1年からベンチ入りし、のちに1番打者として活躍。

1978年広島東洋カープの入団テストを受けて合格し、オフにドラフト外で入団。通算31打席と少ないが代走の切り札として活躍し、通算62盗塁を決めている。1987年には36試合に出場し打席数はゼロ、盗塁9という珍記録がある。


高橋慶彦や後に盗塁王になる正田耕三でも、代走として今井が起用されることがあった。今井の方が投手の癖を見抜くのが上手いと当時の監督である古葉竹識や阿南準郎が判断したためである。

1989年に現役を引退し、実家の鮮魚商(後に株式へ改組された)を継いでいる。


通算記録は実働8年で263試合に出場し27打数5安打、0本塁打、4打点、打率.185。


関連項目編集

引退したプロ野球選手一覧 広島東洋カープ 代走

小川淳司 -中央大学時代の1年後輩。

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