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正田耕三

しょうだこうぞう

和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。

概要編集

1962年1月2日生まれ。


高校卒業後は社会人野球の新日鉄広畑へ進む。1984年にはロサンゼルスオリンピックの日本代表として二塁を守り、主に一番打者を務めて15打数6安打の成績で金メダル獲得に貢献した。


同年のドラフト会議で広島東洋カープから2位で指名された。


1987年は二塁手のレギュラーに定着し、オールスターゲームにも初めて出場した。最終戦でバントヒットを決めて篠塚利夫と同率で並んで初タイトルとなる首位打者を獲得し、ゴールデングラブ賞にも選ばれた。この首位打者には様々な記録がつき、同率で2名が並んだのは史上2度目、本塁打0での獲得は2リーグ制後初、さらにスイッチヒッターとしてはNPB史上初であった。


1989年は盗塁王となった。また、前年に続きリーグ最多となる7本の三塁打を記録した。


1990年から1992年まで毎年.290以上の打率を残し、守備でも1991年まで5年連続でゴールデングラブ賞を獲得した。1992年は4月に自身初の月間MVPを受賞した。


1995年12月からは労働組合日本プロ野球選手会の会長となり、現役引退まで同職を務めた。

1998年はコーチ兼任となり、9月29日の広島市民球場での対中日戦をもって引退。


引退後はコーチ・解説者として活躍。

コーチ歴編集

広島東洋カープ (1998 - 1999)

大阪近鉄バファローズ (2000 - 2004)

阪神タイガース (2005 - 2007)

SKワイバーンズ (2009)

オリックス・バファローズ (2010 - 2011)

ハンファイーグルス (2015 - 2016)

起亜タイガース (2017 - 2019)

京都成章高等学校

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