概要
2000年11月16日生まれ。
岩出小学校1年から岩出ヤンキースで野球を始め、6年時にタイガースジュニアに選出される。岩出中学校に進学後は紀州ボーイズでプレー。小中時代は主に捕手として出場した[2]。中学時代は通算32本塁打を記録する。
智弁和歌山高校に進学すると、三塁手に転向し1年春の県大会から出場する。1年夏は5番・三塁手で起用され地方予選ベスト8。1年秋から3番を任され、2年夏に甲子園初出場。初戦の興南戦で中堅左に本塁打を打つ。大会中に右肘を疲労骨折し、大会後に手術を行ったため秋季大会及び近畿大会に出場できずリハビリに専念する。3年春の甲子園ではチームを準優勝に導くが、優勝候補に挙げられた3年夏の甲子園では近江高校に敗れ初戦敗退。
2018年10月25日のドラフト会議では広島東洋カープから3位指名を受け、11月15日に契約金4500万円、年俸600万で仮契約を結んだ。背番号は44。
2019年は、ウエスタン・リーグで102試合に出場。315打数71安打、打率.225、OPS.674を記録。1年目の本塁打7本はウエスタン・リーグの高卒1年目の新人では最多タイである。
2020年は、ウエスタン・リーグで4番に座り、打率.266(リーグ6位)、69安打(リーグ2位)、9本塁打(リーグ2位)、40打点(リーグ2位)を記録。10月2日に一軍に初昇格し、10月9日にはプロ初安打を記録した。
2021年は、5月にチーム内での新型コロナウイルスのクラスターが発生したことから1軍での試合出場が増加。5月29日にはプロ初本塁打を記録すると、6月にはスタメンに定着した。最終的には102試合に出場、打率.266、95安打、10本塁打、40打点を記録した。
2022年は、前年の成績から期待されたが、オープン戦から不振に陥り、オープン戦後は2軍降格となった。ウエスタン・リーグでは102試合に出場ながらも、打率.217、78安打、2本塁打、27打点と不振は続き、飛躍した前年から一転して一軍出場なしに終わった。
選手としての特徴・人物
高校通算49発のパンチ力と広角に長打を運べるバッティングが魅力。
手本とする選手として、広島に所属していた同じ左打者の丸佳浩を挙げ、将来的にクリーンナップに座ってシーズン40本塁打を目標に掲げた。
3人兄弟の末っ子で2人の兄も野球をしており、長兄は神戸国際大学附属高校時代に夏の甲子園出場を果たしている。