概要
日本の国歌。鎌倉時代に編まれた和歌集『和漢朗詠集』に載せられた詠み人知らずの短歌に曲をつけたもの。古くからおめでたい歌として歌われ、江戸時代では庶民にも広く知られて散歩がてらに口ずさまれるほど親しまれていた。明治時代に国歌に定められる。
なお、世界でも有数の演奏・歌唱時間の短い(約1分)国歌でもある。
国歌「君が代」
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
「コマカイ石ガ大キナ岩ホニナッテ苔ノハエルマデ、千年モ万年モ、御繁盛デオイデナサレ、コチノ君ハ」(本居宣長『古今集遠鏡』の訳)
歌詞
明治2年(1869年)、当時来日していたイギリス公使館護衛歩兵隊の軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンが薩摩藩軍楽隊で国歌の必要性を述べ、その作詞が新政府でも提案され、これを聞いた薩摩藩歩兵隊長の大山巌らが「新作でなく古歌から選ぶべきである」とする意見に同意し、「君主国として天皇の地位の安泰長久を祈る歌を選ぶべきだ」と、大山が普段から愛誦していた「君が代」を提出した。
「君が代」の歌詞は前近代の頃から天皇から庶民の末まで広くほとんどの人々に知られ、最も日本人に親しまれ愛誦されてきた詩であった。
平安朝の醍醐天皇による最初の勅撰和歌集『古今和歌集』に収められているのが初見である。
- わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで
これは「賀歌(がのうた)」の「題知らず(無題)、詠み人知らず(作者不明)」として出ており、長寿を祈る意味を持っている。
当初、初句に「わが君は」とあったが、やがて人々に愛誦されている間に、歌意によりふさわしい「君が代は」に改まり、中世以降には国内の各層に浸透して、神社や寺院の行事、田楽その他の歌舞、酒宴の席でも広く歌われ、御伽草子にも登場した。
江戸時代に到ると一層後半に流布して、庶民が好んだ仮名草紙、読本、小唄、長唄、浄瑠璃から伊勢音頭、盆踊唄、薩摩琵琶、門付歌、また武家や民間の正月の書初めや祝い歌などとしても幅広く使われている。
この「君」は君主=天皇に限定される意味はなく、自分にとって敬愛する者、大切な者、慕っている者の生きる時代・時間が長く続くこと、長寿を祈る意味を持っている。
そして、原歌は早い頃から天皇の治世を称える文脈で一定の意義も背負っていた。
敬愛する人物の健康を祈る賀歌が天皇の治世を寿ぐ頌歌の意味ももち得、両者の間に齟齬も対立もなかった。
「さざれ石」とは「細石=小さな石」、「巌」は「岩」で、「小さな石が岩になるほど大きくなり、苔が生えるほど長く時間がかかるくらい永遠であってほしい」という意味になる。
節
明治3年(1870年)9月に明治天皇の御前で初めて披露されて以来、11月3日の天長節などでしばらく用いられていたが、散々な不評であった。
まず、フェントンは日本語が理解できなかったばかりか、軍楽隊からキャリアをスタートした叩き上げであるが由に体系だった音楽教育を受けていなかった。このため、日本語話者からしたら謡いづらいことこの上なく、旋律も平易で覚えやすい一方、威厳に欠けると見なされた。
そこで明治9年(1876年)に楽譜改定の議題が出され、明治13年(1881年)に決定した新しい曲が、現在の「君が代」である。作曲は宮内省一党伶人の林広守の名義になっているが、実際はその部下の奥好義と林広季の合作であったらしい。林と奥はいずれも雅楽の伝統をうけつぐ楽人の家の出である。これにドイツから来日していた音楽教師のフランツ・エッケルトが協力して、曲が完成した。
国歌としての地位
完成した曲は明治13年の天長節の宮中宴会において明治天皇の御前で初めて「国歌」として正式に奏楽され、国歌「君が代」が成立した。
その後、明治21年(1889年)には欧米の条約締結国に対し、「君が代」を我国の国歌として公示する措置もとられた。
以来、君が代は慣習上国歌としての地位にあったが、平成の時代になってその地位を巡る議論が社会問題と化し、法制化された。
他国の国歌との比較
元々の歌詞が家族や世の末永い安寧を願った歌であるため、歌詞に戦意高揚や自国の自然・文化を激しく、盛大に讃えるものが多い他国の国歌に比べて非常に落ち着いている、悪い言い方だと「暗い」と評価されることがある。
それでも日本代表のスポーツ選手が「背筋が伸びる」「スイッチが入る」と言うように、試合前に聴くと精神が研ぎ澄まされるようである。
ちなみに、スポーツの国際試合前に流れる場合、曲が終わると応援団が大きく拍手をしたり、「ドン、ドン、ドン、ニッポン!」と打楽器を叩きながら複数回コールを入れるのが恒例となっており、ここで一気に盛り上がる。
関連動画
米軍基地での逸話
1999年のF1日本GPの開会式において、ロックバンド『B'z』のギタリスト松本孝弘氏が演奏したバージョン
その他の「君が代」
- 君が代も わが代も知るや 磐代の 岡の草根を いざ結びてな(『万葉集』)