概要
日本では奈良時代から、天皇のお誕生日を「天長節」といい、中断の後に明治時代に復活し、第二次大戦後の昭和23年まで続いた。
それに伴って、皇后誕生日を「地久節」と称することも、日本では明治時代から始まった。
この言葉は、東洋の古典『老子』の「天は長く地は久し」(天地は永遠にほろびることなく続く)から採ったものである。
その最初は、老子を尊崇する唐の玄宗皇帝の時とされ、玄宗の天宝7年(西暦748年)に、それまで「春秋節」といっていた天子の誕生日の名を改めた。
第二次世界大戦後のGHQの圧力により、それまでの日本の祝祭日が廃止または名称の変更を余儀なくされた。国民の希望する祝日を改めて調査したところ、西暦ではなく元号(天皇の元年・正月元日)によって独立を保ってきた日本国民は「新年(正月)」の元日を第一に希望し、また君主国の臣民として「天皇陛下のお生まれになった日」(天長節)を第二に希望したため、昭和24年からは天皇誕生日として奉祝することとなった。
明治天皇の誕生日は明治節から文化の日になり、昭和天皇の誕生日は平成時代に「みどりの日」とされたが、後に昭和の日に改まった。近代の天皇でお二方の誕生日が後世に記念日として祝日となったが、大正天皇は在位中に還暦を迎えなかったこともあり、誕生日であった8月31日は記念日にも祝日にもなっていない。平成の明仁陛下は平成31年(2019年)5月1日に譲位(生前退位)し上皇となられたが、今上天皇との二重権威を避ける意味合いで、その年以降は祝日とはならなかった。
奉祝歌
天長節を奉祝するため、同題名の歌が作られた。黒川真頼作歌、奥好義作曲。
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