藤井フミヤ
ふじいふみや
高校時代に仲間たちとチェッカーズを結成。10数年間ボーカリストおよび作詞家として活躍した。
デビュー前は長崎県の国鉄駅や鳥栖操車場(今は鳥栖スタジアム/ベストアメニティスタジアム)に勤務していたこともあった。
1983年に上京してプロデビュー。翌年からはヒットチューンを続々とリリース。
1988年には本名および当時の名義でもある「藤井郁弥」としてシングル「マザーズ・タッチ」を発表。
また、音楽以外でも「FUMIYART(フミヤート)」なる芸術活動をはじめ、テレビドラマや映画、とんねるずとのコントにも出演していた。
1992年のバンド解散後は現名義で本格ソロ活動を開始。こちらもヒットチューンを数々生み出した。
チェッカーズ時代の所属レーベルはポニーキャニオンだったが、SonyMusicに移籍した。
実弟である藤井尚之とのユニット「F-BLOOD」では、バンド時代の楽曲や他の歌手に提供した楽曲もプレイされており、不定期の活動ながらこちらでも人気を博している。
古参のMacユーザーでもあり、まだ日本でそこまでAppleが有名ではなかった頃のCMにも出演していた。
2013年には伊勢神宮の第62回式年遷宮を記念して内宮参集殿にてコンサートを開催。奉納行事としてJ-POPの歌手がライブを行った事例は藤井が初めてであった。開催の6年前からこれに先立ち奉賛曲『鎮守の里』を制作している。
子供の頃から図工と美術だけ成績が良く「ちゃんと勉強をしていたら、歌手の藤井フミヤはいない」と語っている。チェッカーズ時代にはチケットのイラストのデザインを担当した事もある。
本人曰く愛国心が強く、日本武道館で行われる年越しライブでは国歌「君が代」を歌い、天井に掲揚されている日の丸にスポットライトを当てることが恒例となっている。
世界平和を願っており、2013年に発表された楽曲「夜明けの街」にはそのようなメッセージが込められている。