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石井竜也

いしいたつや

歌手、芸術家、プロデューサー、映画監督、司会、芸人・・・端的に言えばアーティスト。
目次 [非表示]

概要編集

1959年9月22日茨城県北茨城市出身。実家は創業100年以上の和菓子屋だったが、父の代で閉店した。

文化学院美術科時代から油絵の腕を認められ、史上最年少で日展入選。


1982年、学生時代に在籍していた映画研究会のメンバーを中心に米米CLUB(K2C、以下「米米」)を結成。

1985年10月レコードデビュー1997年3月の米米解散(2006年4月に期間限定で再結成、10月に解散撤回)を経て同年9月にソロデビュー。現在は米米の司会ボーカルと並行して活動している。


人物編集

前述のとおり、米米では司会、ボーカル担当のカールスモーキー石井として活動している。ちなみに結成当初は司会一本で歌ってはいなかった。一部では「演芸」と紹介されていたらしい。

ちなみにデビュー前は「ドナルド平原」(ドナルド・フェイゲンのもじり)、「カールスモーキー中村」と名乗っていた。本名を全く感じさせない名前だが、それは彼が本名を出すことに抵抗があったからである。

ソロになってからは本名で活動しているが、「石井ビューティー」という名前で出ていたことも。これは解散後から使い続けていた彼のハンドルネームである。


ニックネームは「てっぺいちゃん」。由来は「おれは鉄兵」など諸説あるが、学生時代からずっと呼ばれ続けている。


似顔絵


サングラスをかけて公の場に姿を現すことが多い。コンサートでは数曲ほど歌った後、狙い澄ましたかのようにサングラスを取るというのがお約束となっている。

かなりの落語好き。また、伝統芸能にも通じている。


言動はマジなのかふざけてるのかわからないほど適当

だが既婚で子持ちだ


音楽編集

プロデューサーとして楽曲提供も行っている。


カバー楽曲も多く、カバーブームが来る前年である2003年にカバーアルバムをリリースした。


その他楽曲については後述。


アート編集

アート面でも自ら等のステージを始め絵画オブジェ作製、様々なデザインなどを手掛ける。


オーストリアの芸術家・フンデルトヴァッサーの影響を強く受けており、1999年にテレビ番組の企画で晩年の彼と念願の対面を果たす。


メンバーのジェームス小野田がかつてしていた奇抜なメイクも彼の作品であり、雑誌の企画で自らを含めたメンバー全員にジェームス小野田メイクを施したことも。


ソロになってからは、特典としてオブジェが付いたアルバムをこれまでに3回リリースしている。


it-man + T

(画像の白い物体は2002年リリースのアルバムについていた、オットマンをヒントに制作した『it-man』)


さらにはコンサートとアートパフォーマンスを融合させたコンサートをこれまでに何回も行っている。


映像編集

元々米米の前身が文化学院の映画研究会ということもあり、映画撮影は長年の夢であった。念願だった映画は1994年に「河童」、96年には「ACRI」のメガホンを執るも、製作において莫大な負債を抱えたことが米米解散の一因となった。なお、この時に背負った負債は全額返済し終わっている。

それ以外にも米米やソロ楽曲のミュージックビデオの監督を何回か務め、1988年の「KOME KOME WAR」、翌1989年の「FUNK FUJIYAMA」でMTV Video Music Awards インターナショナル部門のグランプリを獲得している。


コラボ編集

米米及びソロ以外ではChar松任谷由実倖田來未らとのコラボでも名を馳せている。特にCharとの縁は一言では済まないレベルの関係で、米米の再結成もCharの誕生日パーティーがきっかけである。

ラジオ番組の企画でナオト・インティライミらとコラボし、楽曲も制作している。

HOME MADE 家族のMICROとはマッシュアップ楽曲「アイコトバはア・ブラ・カダ・ブラ」の製作以降親交を深め、定期的にフィーチャリング楽曲を製作している。


歌舞伎役者・二代目尾上辰之助(現・四代目松緑)、狂言師和泉元彌とは対談をしている。

辰之助氏とは『辰繋がり』で対談し、現在も彼が楽屋の入り口に飾っている家紋入りの暖簾を貰っている。

和泉氏とは和泉氏自身が元々彼のファンということもあって繋がりも多く、CDデビュー時のプロデュースも彼によるものである。


彼が司会を務めた番組(テレビ東京系『音楽空間アンモナイト』)の企画で様々なコラボを展開していた。

この番組の企画でハヤブサのコスチュームのデザインを手掛けたことがあり、ハヤブサ氏が亡くなった際は『一人のHEROが天国へ旅立ちました。』とfacebookにて哀悼の意を表している。



おもな楽曲編集

WHITE MOON IN THE BLUE SKY

1997年9月発売のソロデビュー曲で、JALリゾッチャのCMソング。

どこか「浪漫飛行」を彷彿とさせる。ミュージックビデオでは彼が1人3役を演じているが、そのうちの1役は言われないと絶対にわからない程の特殊メイク(施すのに7時間、落とすのに7時間もかかる大掛かりなもの)を施して演じている。

その出来栄えは『音楽空間アンモナイト』で共演し、その取材として現場を訪問していたバカルディ(現・さまぁ~ず)の三村マサカズが休憩中の彼に「内藤陳さんじゃないですよね?」と確認を取るほど。


壮絶夜舞酒家(souzetsu night club)

上述の「WHITE MOON~」のカップリング曲でソロ版「Shake Hip!」ともいうべき楽曲。

曲の中身は彼が若い頃(22、3歳あたり、メジャーデビューすら考えていなかった遊び人時代)にやらかした実話

花まつり

1998年7月発売の4枚目のシングルだが、この曲は「曲の雰囲気や映像に合わせ、面白おかしい名前のほうが合うから」との理由で上述の『石井ビューティー』名義でリリースされている。

リリースされた1998年当時の『ポンキッキーズ』で連日『P-kiesメロディ』として頻繁に流れていた。


HI TENSION LOVE

1998年12月発売の5枚目のシングル。

彼が青春時代を過ごしたという70年代ディスコがモチーフ。DJ OZMAがコンサートでこの曲をカバーした。

またリリースから25年後、HOME MADE 家族のMICROとコラボでリメイクされた。


TRAUMA

2000年2月発売のシングル「GOLDEN FISH & SILVER FOX」のカップリング曲の1つで、彼がプロデュースした東京モード学園のCMソング。


コ・ウ・カ・イ

2002年9月発売の11枚目。

曲は実に彼らしい1曲だが、ミュージックビデオの気合が半端ない。ヒロイン役に戸田菜穂、秘密結社ボス役にシュトロイゼン役でおなじみ壤晴彦が顔出しで参加している。盟友実妹もいるが。

ちなみにこのミュージックビデオの主要人物には全員裏設定があるのだが、設定が細かすぎて書くとえらいことになるので各自で調べてもらいたい。


君をつれて

2002年9月発売の12枚目のシングル。

天空の城ラピュタ』の主題歌「君をのせて」の歌詞を新たに書き直した楽曲。カップリングはオリジナルのカバー。


RIVER

2003年3月発売の14枚目のシングル。詳細はリンク先を参照。



君はランバダンバンバ

2004年5月発売の18枚目のシングル。

『世知辛い世の中なのでこういった企画で現実を忘れよう』とリリースしたある意味迷曲。曲自体はハバナでラテンのノリで豪遊しまくる男を描いたラテンナンバーだが、ミュージックビデオがとにかくぶっ飛んでいる。しかも1度修正済みお馬さんのオブジェにクレームが入った)。



WALKING feat.PEABO BRYSON

自らの51歳誕生日である2010年9月22日発売の28枚目のシングル。ピーボ・ブライソンとコラボレーションしている。特筆すべきはこの曲の長さで、フルで流すと10分以上もある。本人曰く「(ともに当時)51歳と60歳が歌うのだから3、4分では人生を歌いあげられない」とのことらしい。


Where is Heaven

2011年11月30日発売の30枚目のシングル。

発売当時開かれていた20世紀のニューヨーク派の画家・ジャクソン・ポロックの展覧会とのタイアップ曲でポロックの生き方をモチーフにした楽曲。


時間旅行

2013年9月4日発売の『WHITE CANVAS』に収録。

読売テレビ『朝生ワイドす・またん!』のお天気コーナーのBGMとして制作された。『す・またん!』出演者によるす・またん!バンドもこの曲をカバーしている(す・またん!バンドバージョンのシングルは2014年1月22日に発売)。


関連サイト(外部リンク)編集


関連項目編集

歌手 芸術家 プロデューサー 映画監督 司会 芸人

米米CLUB


実在する残念なイケメン・・・適当な言動の数々はまさにこれ。

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