北村晴男
きたむらはるお
1956年3月10日、長野県埴科郡稲荷山町(※約3年後の更埴市内)出身。
1971年(昭和46年)4月、長野県長野高等学校に入学し、野球班に入班。1973年(昭和48年)、3年生の夏、第55回全国高等学校野球選手権大会長野大会の準々決勝で長野工業高校に敗れたことにより、甲子園出場の夢を絶たれる。これを機に野球を断念。高校生時代、恵庭事件第1審判決の報道をきっかけに弁護士を目指す。
1974年(昭和49年)3月、長野高校を卒業。大学受験浪人生活を送り、1浪して1975年(昭和50年)4月、早稲田大学法学部へ入学する。大学2年から司法試験に合格する直前まで、学費・生活費捻出のために埼玉県和光市にて、学習塾を開いていた。
1979年(昭和54年)3月、早稲田大学法学部を卒業。司法試験は8回受験し、1986年(昭和61年)に合格する。1989年(昭和64年/平成元年)、司法修習41期を修了し、東京弁護士会に弁護士として登録される。
1992年(平成4年)に北村法律事務所を設立。
1995年10月~1996年7月まで『ウンナンの桜吹雪は知っている』(TBSテレビ)に出演。
2000年(平成12年)3月から日本テレビ系列の人気番組『行列のできる法律相談所』に出演。以降様々なメディアに出演し全国的な知名度を上げる事となる。
2003年(平成15年)10月には加藤信之、2004年(平成16年)4月には佐野周造がそれぞれ経営に参画し、前述した北村法律事務所を北村・加藤・佐野法律事務所に名称を変更した。
弁護士としては、主に一般民事(保険法・交通事故・債権回収・医療過誤・破産管財など)を専門としている。
株式会社東京ハイパワーやあそかライフサービス株式会社などの破産管財人を務めている。
地元長野県の食用きのこ製造会社ホクトの法律顧問として社外取締役を兼務している。それがきっかけで2022年10月から自身のYouTubeチャンネルできのこを使った料理を調理・紹介する「Haruo’s kitchen」という企画を行っている。
サザンオールスターズのファンであり、カラオケでもよく歌う。日本テレビで放送されていた『キャラオケ18番』(2015年7月19日放送分)では「真夏の果実」を熱唱している。また、2023年3月に「NHK×日テレコラボウィーク」の一環で『NHKのど自慢』の予選会に同曲で参加した際は緊張のあまり歌詞を間違え、予選落ちしている。映画版『永遠の0』の主題歌「蛍」に対しても高く評価している。また、好きであるがゆえに自身の葬儀ではサザンの楽曲をメドレー形式でかけることを希望しており、「真夏の果実」「蛍」以外にも「涙のキッス」や「TSUNAMI」も必ずかけるよう要望し、他の曲の選曲については「家族や友人に任せます」と語っている。
ゴルフ・野球が趣味。ゴルフ雑誌『週刊パーゴルフ』では、「北村晴男の弁護士ゴルファーがゆく!」というタイトルで連載コラムを担当していた。
2011年からはチャリティゴルフコンペを毎年開催しており、そこで募った寄付金をあしなが育英会を通じて東日本大震災で被害を受けた孤児への支援金として寄付する活動を行っている。
政治的には保守寄りの自説を語っている。麻生太郎と懇意にしており、2007年自由民主党総裁選挙において麻生の応援演説を行っている。2016年5月14日に行われた麻生の長男(麻生将豊)の結婚式で遭遇したことをきっかけに当時内閣総理大臣だった安倍晋三とも交流ができ、ゴルフが共通の趣味であったため辞任後に共にラウンドした経験がある。また、作家の百田尚樹とも交流があり『虎ノ門ニュース』や『百田尚樹チャンネル』などで度々共演を行っており、百田と有本香が立ち上げた政治団体「日本保守党」の法律顧問を務めている。
日弁連(日本弁護士連合会)の体質を批判しており、ケント・ギルバートと共著『日弁連という病』を上梓したほどである。
高校の同級生に漫画家の井浦秀夫がいる。大学も同じだったが井浦は第一文学部であり、高校卒業後すぐに入学している。北村は井浦が描いた漫画『弁護士のくず』第4巻の帯で推薦文を書いている。また、大学の同級生には音楽評論家で且つ北村が敬愛するサザンオールスターズの命名者でもある宮治淳一がいる。
子供は北村晃一(長男、プロゴルファー)、一般人の長女、北村まりこ(次女、女優)の3人。
インターネットでの活動にも積極的でまぐまぐ!にてメールマガジン『言いすぎか!! 弁護士 北村晴男 本音を語る』を連載している他、ツイッターやYouTubeチャンネルのアカウントも取得している。