エドワード・スミス
えどわーどすみす
1850年1月27日、イングランド中部のハンリーにて生まれる。
13歳の時に船乗りを志し、その後キャリアを重ね37歳以降から数多くの船の船長を務めるようになる。
船長としての評価は高く、安全性が軽視されていた当時としては船長を務めた殆どの客船で事故を起こさず、数少ない事故ですら冷静な判断力と指揮系統で規模の縮小に抑えた。
そのため富裕層を中心に多大な信任を得ており、彼が船長を務めるという理由から乗船する船を選ぶ者もいたという。
1912年4月15日、船長を務めていた客船・タイタニックが氷山との衝突によって沈没。乗員乗客1500人以上が死亡するという史上最悪の海難事故となり、スミスもまたこの事故の犠牲者となった(ただし、遺体は発見されなかった)。享年62歳。
彼はタイタニックの航海を最後に船長を引退するつもりだったと伝えられるが、出港直前には知人にその後も航海業を続ける意思も示していたという証言もあり、定かではない。
なお、4月10日のタイタニック出航時には別の客船が誤ってタイタニックに接近し危うく接触しかけるトラブルがあったが、スミスの尽力あって回避され、航海を無事継続できたという功績を上げた。
そんな優秀且つ経験豊富な彼の能力を以ってしても、当時の過度な安全軽視の価値観によってタイタニックの沈没と犠牲の拡大を抑えることは出来なかったのである。
なお、タイタニックの船長になる前は姉妹船オリンピックの船長として活躍していた。現在は沈没事故や映画のせいでタイタニックが有名になったが、当時のホワイト・スター・ライン社の看板客船は「長女」であるオリンピックであり、その船長を任されたスミスの技量と功績は相当なものであると言えよう。
これ以外にも「マジェスティック」「バルチック」「アドリアティック」など多くの大型客船の船長を務めた豊富な経験の持ち主である。
一方で、オリンピック号船長の時期に、処女航海においてタグボートをスクリューに巻き込みかけたことや、防護巡洋艦ホークが船腹に突っ込み損傷した事故を起こしたことを槍玉に上げられることが多いが、どちらも冷静な対応で最悪の事態は避けているため、この2件の事故から彼の能力が低かったと結論づけることはできない。
タイタニック号の沈没時も、あまりの出来事に茫然自失としており、船内の指揮系統がうまく機能していなかったことが指摘されている。加えて、搭乗クルーに向けた救命ボートを使った避難訓練等も満足に実施していなかったとされ、上記の命令系統の破綻もあり、沈没時の船内が混乱する一因になった(船員は救命ボートの扱いにまったく慣れていなかっため、避難を遅滞なく進行する上で支障をきたすことになった)。
とはいえ、事故が起きたからといってスミスのみが悪いとは言い難く、特にホークとの衝突事故はなまじ相手が国家権力(イギリス海軍)なだけに、「オリンピックの方が悪い」という海軍側の言い分が真実なのかは疑問が残る。
また、月のない夜に氷山の多数漂う海域を高速で航行したことがタイタニックの沈没を招いたとして(後述する映画版の監督を務めたキャメロン氏等からも)批判されることが多いが、スミスは氷山の南下を警戒し、通常よりも南寄りのルートを航行していたことが判明している。つまり、スミスは氷山との衝突の可能性をちゃんと想定していたが、大自然の気まぐれが彼の想定を大きく上回ったが故にあのような悲劇が起きてしまったのである。
映画『TITANIC』
1997年に公開されたジェームズ・キャメロン作の『TITANIC』では、イギリスの俳優・バーナード・ヒルがスミスを演じた。
人物像、経歴等は史実に沿っている他、タイタニックの航海を最後に引退する俗説も採用されている。
最期は部下の一人に救命胴衣の着用を促されるも、船長としての責任感からそれを拒否して操縦室に一人閉じ籠り、最終的に水圧によって破れたガラスから流れ込んできた海水に飲み込まれて命を落とした。
ラストシーンのグランドフィナーレでは、事故で犠牲となった乗客と共にジャックとローズを祝福するが、彼だけは事故を引き起こしてしまった自責の念からか、どこか申し訳なさそうな様子で拍手をしている。