概要
イギリスの海運会社キュナード・ラインが所有していた大型客船で、進水当時は世界最大の客船だった。
1906年進水、翌1907年竣工。
キュナード・ライン社の看板客船として姉妹船のモーリタニアと共に活躍した。
1915年5月、南部アイルランド沖でドイツの潜水艦、U-20の雷撃を受けわずか18分で沈没。乗客1257名のうち1198名死亡という大惨事を引き起こした。このうち、139名のアメリカ人乗客のうち128名が死亡したことからアメリカの世論は一気は「参戦すべき」の方向に傾き、長く孤立主義をとっていたアメリカが第一次世界大戦に正式に参戦するきっかけの一つとなった。
タイタニックとの関係
ルシタニア級客船はキュナード・ライン社の名物客船として建造され、当時ドイツに奪われっぱなしだったブルーリボン賞(大西洋を最速で横断した船舶に送られる賞)を海洋国家であるイギリスが再び手にすること、そして当時における世界最大の豪華客船を作ることを目標に建造された。
これに対抗すべくキュナード・ラインの商売敵であるホワイト・スター・ライン社で建造されたのが、オリンピック号、タイタニック号、ブリタニック号からなるオリンピック級客船3隻であった。
アメリカ参戦のきっかけ(?)
歴史の教科書などではアメリカが第一次世界大戦に参戦したきっかけとして大体的に掲載されていることが多いが、実際はここら辺はさらに込み入っている。
ルシタニア号撃沈事件ののち、アメリカ世論は一気に開戦の方へと向かったが、この状況でなお当時の大統領ウィルスンは参戦を躊躇っていた。そのため、この事件に関してアメリカが行った行動は正確には宣戦布告ではなく抗議表明である。
一方、ドイツもアメリカをヘタに刺激すべきではないと踏んだのか、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は約3ヶ月後の8月末に軍部の反対を受けながらも大型商船撃沈の基準を引き上げ、むやみに撃沈するべきではないと直々に命令している。(なおこの皇帝の命令の公布前の8月中旬に客船アラビックがルシタニア同様ドイツの潜水艦攻撃で沈没しアメリカ人の犠牲者も出ているが、この時もアメリカは抗議するに留まった)。しかし、同時期にミュンヘンのメダル職人がルシタニア号"撃沈記念"のメダルを勝手に販売。無論ドイツ当局はすぐに取り締まったが、一部のメダルをイギリスに利用され、「ドイツの卑劣さ」の象徴と喧伝されさらにアメリカ国内の反ドイツ感情が悪化することとなった。
それでもなお、ウィルスンは頑強に孤立主義を主張し、1916年の大統領選挙では「アメリカを戦争に巻き込まなかったこと」を強調して再選を果たすなど、政府としては孤立主義を貫いていた。
結局アメリカが参戦を決意したのはウィルスンの再戦直後に起きたメキシコードイツ間のアメリカ本土攻撃の極秘盟約の傍受(ツィンメルマン電報事件)やドイツが再び無制限潜水艦作戦を再開を経た、1917年4月である。
このように、ルシタニア号撃沈事件からアメリカの参戦まで、実際には2年ほどかかっているため、「ルシタニア号の事件直後にアメリカがすぐに参戦した」と認識するのは誤りである。しかし、それまで孤立主義だったアメリカ世論を一気に「参戦すべし」の方向に変えたという点では、この事件がアメリカの第一次世界大戦参戦に影響を与えたのは間違いない。
アニメ『ルシタニア号の沈没』
『ルシタニア号の沈没』はルシタニア号撃沈事件をモデルにしたアニメで、事故直後から制作が始まり、3年後の1918年にアメリカにて公開された。長さは12分ほど。
黎明期のアニメ作品として重要なだけでなく、実際に起きた事件を取り扱った史上初のドキュメンタリー・アニメーションとしても重要。