衝角(英:ram)とは、敵艦に衝突して舷側などに穴を開けさせることで大破もしくは沈没を狙うためのものであり、艦首水面下に取り付けられる古典的な兵器である。
概要
この兵器は船舶船首喫水線下に鋭い突起を設け、体当たりにより敵の船舶に穴をあけて沈没させる為のである。使用に関しては紀元前より古代ギリシャなどで使用されたとされる歴史ある装備であった。
しかし船舶の進化および運用の変化によりいったんはその利用を終えたものの、19世紀の中ごろには再び復活したものの、更なる船舶の更なる進化により20世紀はじめには用いられなくなった。
その構造は船首バルブ(バルバスバウとも、船舶の前面にできる波を打ち消す作用があり、速力アップに繋がる)として現在の船舶に用いられている
歴史
紀元前
紀元前の軍船には既に船首水面下に丸太が前方に向けて取り付けられ他物が確認されている。これが衝角の始まりと言われている。
当時の船は全て木造船であり、軍船の多くは運動性重視のため手漕ぎ(帆走は長距離移動時のみ使用)であり足が遅く、そもそも火矢を除き船を沈められるほどの威力を持った飛び道具を搭載出来なかったため、船同士がある程度近付かなければ戦うことができず、お互いの船を接舷させて相手の船に乗り込んだ海兵で殴りあう戦いが主流であった。
その接舷の際に敵船にぶつけて沈めるという考えが自然と発生していたものと思われる。よりぶつけやすく、そして効率よく破壊できるように先端に金属をかぶせたものも多い。
近世
その後、威力のある大砲が軍艦に搭載されるようになると戦闘時でも速度重視の帆走がメインとなり、接舷(体当たり)が難しくなった。実際16世紀の無敵艦隊はアルマダの海戦においてイギリスの艦隊にこの衝角攻撃を行おうとして逆に砲撃で大きなダメージを受けたとされる(海賊による接舷は大砲で脅すなり帆やマストを壊すなりして相手を足止めしてからの話であり、そもそも獲物を沈めてしまっては略奪ができない)。
ところが、19世紀の蒸気船時代の終わりごろには復活した。背景には技術の進化により軍艦が鉄および鋼鉄で装甲を施すようになり、当時の艦砲射撃の威力では装甲艦にダメージを与えられても撃沈することはできないと考えられ、
それを裏付けるようにハンプトン・ローズ海戦(南北戦争中の1862年に発生した戦い、南軍の装甲艦バージニアが木造艦を衝角で沈没させたこと、北軍が装甲艦モニターを使いそれを追っ払った)やリッサ沖海戦(普墺戦争中の1866年に発生したオーストリア=ハンガリー帝国とイタリアの戦い、木造船による衝角攻撃は装甲艦には無効なこと、装甲艦には装甲艦の衝角が有効とされた)などが衝角が戦果をあげた海戦としてあげられた。
しかしその後の大砲の大口径化や長射程化により交戦距離が増大したこと、魚雷の登場により衝角に頼らずとも撃破が望めるようになったこと、機関の進歩による艦の速力や運動性の向上により、衝突できるほど接近しての戦闘が非現実的になっていったためである。
日本海軍では装甲巡洋艦「春日」が衝角で防護巡洋艦「吉野」に衝突して沈めてしまった事故の発生を期に、筑波型以降の新造艦では衝角を廃止、海外でもこの事故以前にイギリス海軍が同様の事故(しかも戦艦同士)を起こしていたため弩級戦艦時代には衝角を持つ軍艦は新造されなくなった。
ただし、その後第一次世界大戦や第二次世界大戦の海戦において艦艇が衝突により魚雷艇や潜水艦を撃沈したりダメージを負わせた(偶発的な事故に近いが)ケースは存在し、はるかぜ型護衛艦は潜水艦撃沈用の衝角を装備していた。
空想上の装備
なお、SFにおいては船首に衝角やドリルを持った宇宙戦艦が登場することが多々ある。