上尾事件
あげおじけん
上尾駅に832M普通列車上野行(169系12両・定員840人)が14分遅れて7時10分に1番線に入線した。
しかし、順法闘争の影響で直前の4本の列車が運休・遅延してしまい、832Mは約1時間前に出発した822Mの次の列車となっていた。その間の上尾駅ホームには電車は来ていないため、大勢の乗客が待っており、改札制限を行っていた。
832Mは、すでに3000人以上が乗車しており、ホーム上に待機していた5000人ほどの乗客は大半が乗車できず、乗ろうとする乗客とそれを止める職員との間で小競り合いが発生していた。
そうこうしているうちに830M普通列車上野行(165系12両・定員944人)(本来は832Mの先行列車だが、順法闘争の影響で遅延し後発になっていた)が上尾駅2番線に入線したが、この列車も4000人が乗車していた。
その後、構内放送で830M列車を先に出発させること、830M・832M列車を途中の大宮駅で運転を打ち切ることを放送した。
この放送によって乗客の怒りに火がつき、ついに暴動が起こる。
殺気立った乗客が832Mの運転室の窓ガラスを割り、身の危険を感じた運転士が上尾駅の駅長室に逃げ込んだが、その後を追いかけた乗客が駅長室に流れ込み、鉄道電話の破壊・係員への暴力を行った。さらに、830Mの乗務員も逃げ出したため、乗客の怒りが爆発した。
乗客は線路に飛び降りて信号機や分岐器などの運転設備を破壊し、さらにホームに止まっていた2列車に投石をした。さらに、駅構内に入線出来ずにいたとき2号にも投石され、運転席の窓ガラスが割られヘッドマークも壊された。
その後、東北本線等の他路線でも投石されたり、駅長が拉致される等、騒ぎは拡大していき、最終的に乗客は3万人まで膨れ上がった。出動した機動隊は700人にも上る。
- 当時の高崎線沿線は東京のベッドタウンとなって居住人口が増加し、通勤・通学客が年々増大していた。そのため早々に輸送力不足に陥ったが、当時は新幹線もなければ並行する他社線もないため、沿線民は高崎線に乗らざるを得なかった。