概要
1958年10月13日生まれ、栃木県宇都宮市出身。本名は森田昌子。
元夫は森進一。長男はONE OK ROCKのTaka、次男はテレビ東京に勤務するサラリーマン、三男はMY FIRST STORYのHIRO(森内寛樹)。
かつては長らくホリプロに所属していた。
音楽好きの父親により、幼少期から厳しい歌のレッスンを受けていた。本人は人見知りが激しい性格であまり表舞台に興味を示していなかったという。
1971年に、人見知りを克服してほしいと叔母が応募して日本テレビ『スター誕生!』に出場。初代グランドチャンピオンとなり、翌1972年に歌手としてデビューする。
デビュー当初はアイドル歌手としての向きが強く、歌謡曲を多く歌っていた。1973年に同じく『スタ誕』からデビューした同学年の山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれていた。
1973年には15歳でNHK紅白歌合戦出場を果たした(当時の最年少出場者記録である)。
堀越高校卒業後の1977年から、本格的に演歌歌手にシフト。数々のヒットを残したほか、新宿コマ劇場での公演などライブコンサートにも精力的に取り組んだ。また、アイドル時代から女優業も行い、多くのドラマに出演した。
1986年に、歌手の森進一と結婚。その後家庭に専念するため一時的に引退(活動休止)していたが、2001年に進一とのデュエットで復帰。
2005年に離婚し、2006年から本格的に歌手活動を再開する。
2008年にデビューから所属していたホリプロを退社し、個人事務所おんがく工房を設立する。
2010年、子宮頚がんであることがわかり、子宮の全摘出手術を受けたことを公表した。前年に子宮筋腫により手術を受けており、体調不良に苦しんでいたことを明かしている。
2019年3月、所属事務所から年内での芸能界引退が発表された。そして12月25日、故郷の栃木県宇都宮市でのコンサートをもって活動終了した。
人物・エピソード
父のレッスンで、原曲の歌手の歌い方を徹底的にコピーするように教えられていたこともあって、モノマネ・声真似(声帯模写)を非常に得意としている。ある歌番組でアグネス・チャンの出番の際、舞台裏で森が歌いアグネスがマイクをオフにして口パクをする、というイタズラを仕掛けたところ、スタッフは誰も気づかず怒られるどころか称賛されたことがあるという。『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)の初代チャンピオンでもある。
モノマネのレパートリーは、あべ静江、都はるみ、小柳ルミ子、南沙織など。また、歌だけではなく仲間由紀恵(正確には『ごくせん』のヤンクミの時の演技)などセリフも演じている。引退の少し前に出演したあるバラエティ番組では、美空ひばりを司会として「花の中三トリオ」がそれぞれ歌いながら番組が進行する…という体のモノマネを披露し、見事に演じ分けた。
美空ひばりからは「マチャコ」と呼ばれ可愛がられており、森は美空のことを「オネエチャマ」と慕っていた。
山口百恵、桜田淳子とは、大変仲が良かったとも、ライバルとして意識していたそれほど親しくなかったともされており、実態は本人たちもあまり触れていない。ただし、テレビ出演の際はよく三人でイタズラを仕掛けてはしゃいでいたことや、年賀状などでのやり取りは続けていることが語られている。
2019年に引退を発表した会見で「(今はそれぞれに立場や家庭があるので)難しいかもしれないが、三人で集まっておしゃべりしたい」と言及しており、少なくとも現在は険悪な仲というわけではないと見られる。
堀越の同級生に、岩崎宏美、岡田奈々、池上季実子らがおり、岩崎(※森の活躍を見て『スタ誕』に応募したという経緯がある)とは仲が良かった。
八代亜紀によくイタズラを仕掛けていた。
家庭では子煩悩で「歌手・森昌子」ではなく、一人の母親として振る舞うことに徹していた。このため、家族でテレビを見ている時でも自分の映像が映りそうになるとすぐに消しており、息子たちも以前は母の活躍をあまり知らなかったという。
一方で森進一の方針も含め非常に躾には厳しく、挨拶や上下関係は徹底的に仕込んだという。このため、大きくなっても弟たちは兄に敬語で接しており、Takaと仲の良い佐藤健が驚いたというエピソードがある。