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概要編集

1952年7月2日生まれ。

福岡県福岡市出身。なお、地区は旧西区のうち、現在の早良区にあたる地区である。

本名:小柳 留美子(読み同じ)。


筑紫女学園中学校を卒業。友人のつてで渡辺プロダクションに「歌手になりたい」と願い出ると、プロダクションから「宝塚音楽学校を首席で卒業したらデビューさせてあげる」と言われ、本人も歌や踊りのレッスンを受けることを目的に音楽学校に入学する。

2年後、音楽学校を首席で卒業し、「夏川るみ」の名で宝塚歌劇団に入団する。歌手デビューの約束があったため、わずか2か月で退団した。

退団した1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説』で女優としてデビュー。


翌1971年4月25日にはワーナー・ブラザース・パイオニア(現在のワーナーミュージック・ジャパン)と、邦楽部門初の歌手として契約。作曲家・平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューを果たす。

「わたしの城下町」は160万枚の大ヒットとなり、1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録する。また、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も獲得した。


翌1972年(昭和47年)にリリースした「瀬戸の花嫁」が大ヒットし、同年の第3回日本歌謡大賞を受賞するなど、新進気鋭の歌手として注目されるようになる。

その後も「お祭りの夜」「京のにわか雨」「漁火恋唄」 など、歌謡曲を中心に多数のヒットを残し、当時同じく歌手として注目されていた天地真理南沙織とともに「三人娘」(「新三人娘」とも)、1970年代前半を代表するアイドルとなった。


1970年代後半から1980年代前半にかけては、歌謡曲路線はそのままに正統派の歌手として活躍。「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」など、数々のヒット曲を飛ばした。

同時期に女優としても活動。1983年には『白蛇抄』での演技が評価され、第7回日本アカデミー賞主演女優賞を獲得している。また、バラエティ番組にも度々出演しており、特に『8時だョ!全員集合』においては、ゲストとしての出演回数が全出演者中最多である。


1980年代後半、音楽活動への指針が自身とプロダクションとで異なることや、待遇面での不満から独立して個人事務所を設立(2021年現在はプラチナムプロダクション所属)する。以降の音楽活動では、ポップスロック演歌まで幅広いジャンルに挑戦している。


プライベートでは、1989年、ダンサー・俳優の大澄賢也と結婚するが、2000年に離婚している。また、2007年には石橋正高と婚約を発表するが、入籍の直前に破局と婚約破棄を発表している。


人物編集

趣味・特技の一つに麻雀があり、『THEわれめDEポン』(フジテレビ)では20回の出演のうち4回の優勝実績を持つ。


大のサッカーファンで、年間2000試合を超える観戦を行っている。また、時折ワイドショーやスポーツ関連のバラエティに出演し熱い思いを語っている。


ジュエリーブランド『DANCING QUEEN』のプロデュースを行なっており、テレビショッピングのQVCの放送には、自身がジュエリーを身につけた上で生出演することが多い。


志村けんとは『全員集合』からの縁で長年親交が深かった。また、同郷で宝塚の後輩にあたる黒木瞳と仲が良いほか、松田聖子は「芸能界の妹」と呼ぶような仲であるという。

又従兄弟に、福岡で活動するドラァグクイーンのリリー・チャンがいる。


関連リンク編集

プラチナムプロダクションの公式プロフィール

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