ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

南沙織

みなみさおり

元アイドル歌手で、写真家の篠山紀信の配偶者。1970年代初頭に絶大な人気を誇った。
目次 [非表示]

概要編集

本名:内間明美(1954年7月2日~)

日本の元・アイドル歌手で、写真家篠山紀信の配偶者。

カトリック信者でクリスチャン・ネームは「シンシア」。

1970年代初頭に絶大な人気を誇った。デビュー曲「17才」は後に森高千里らにカバーされている。


略歴編集

1954年7月2日、嘉手納町沖縄県)に誕生。母がアメリカ軍軍属フィリピン人男性と再婚し、4歳の頃から宜野湾市(沖縄県)の普天間基地近くに転居。幼稚園の時から、米軍キャンプ内にあったカトリック系のクライスト・ザ・キング・インターナショナル・スクールに通い、バイリンガルとして育つ。

1970年、琉球放送のど自慢番組「オキコワンワンチャンネル」「100万人の大合戦」などでアシスタントをしていた時にヒデとロザンナのマネージャーが撮った写真がCBSソニー関係者の目に止まり、東京に呼び寄せられた。


1971年6月1日、「17才」で歌手デビュー。日本人離れした美貌と歌唱力からたちまち人気となり、同時期にデビューした天地真理小柳ルミ子とともに新・三人娘と呼ばれる。当時は沖縄県民に対する差別が激しい時代で、フィリピン人とのハーフとして売り出された。

1972年5月15日、沖縄が日本に返還される。昨年に続きレコード年間売上実績第1位を達成。1974年まで筒美京平が手がけた楽曲を中心に多くのヒットを放ち、洋楽ポップスのカバーを多く収録したアルバムもリリースした。

1975年、「人恋しくて」で第17回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。


1978年、学業に専念するため芸能活動から引退。

1979年、4thシングル「純潔」の撮影をした写真家の篠山紀信と結婚。

1991年、NHK紅白歌合戦へ14年ぶりに出場。「色づく街」を歌った。


関連タグ編集

歌手 アイドル 沖縄県

関連記事

親記事

歌手 かしゅ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 5073

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました