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概要

1950年8月29日生まれ。熊本県八代(やつしろ)市出身。所属事務所はミリオン企画。

本名は(橋本→)増田明代。芸名の名字は生まれ故郷からもらっているが、読み方は異なる。

小学校5年生の頃に聞いたアメリカの女性シンガーのジュリー・ロンドンの歌を聴いて衝撃を受け、歌手を志す様になる。

地元の中学卒業後、九州産業交通のバスガイドとなったが、すぐに上京、クラブの歌手となって腕を磨く。

1971年にプロの歌手となるもなかなか売れなかったが、「全日本歌謡選手権」(読売テレビホスト日本テレビ系列局他)で10週勝ち抜いてグランドチャンピオンになったことで注目を浴びるようになる。1980年4月にリリースした「雨の慕情」でその年の日本レコード大賞を獲得したが、当時所属していたテイチク史上初のレコード大賞受賞曲であり、2019年時点で唯一の受賞曲でもある。

その他の代表曲として「なみだ恋」、「もう一度逢いたい」、「おんな港町」、「愛の終着駅」、「舟唄」、「海猫」、「日本海」、「花(ブーケ)束」、「ラッキーマンの歌」がある。

歌手以外でも、(主にテレビドラマのゲスト出演という形で)女優をしたり、画家としても活動している。ちなみに彼女の父親は「歌手になるくらいなら絵描きになって欲しかった」そうである。

彫りの深い顔立ち故に厚化粧疑惑が(ギャグのネタ半分で)浮上したことがあるが、実際には真逆のナチュラルメークを施している。

「舟唄」と言う代表曲を歌っているため、酒呑みの印象がつけられているが、八代自身酒は全く飲めないと言ったように、歌の内容と本人の性格にはかなりギャップがあった。

しかし彼女はこれを「リスナーの代弁者として歌う」というポリシーに昇華させていた。

1994年に週刊少年ジャンプに連載されていた「とっても!ラッキーマン」に「ラッキー・クッキー・八代亜紀」と言うギャグがあったが、同作がTVアニメ化された際に八代が主題歌を担当することになり、オープニングテーマ「ラッキーマンの歌」でこのギャグを入れた歌詞を歌い上げた。

ライブ活動も非常に活発に行なっており、年間200本を越えることもあった。

コロナ禍においては自身のYoutubeチャンネルで多彩な企画を行なったり、面会が制限される老健施設向けの配信コンサートなどを行なった。

2010年、文化庁長官表彰を受賞。

郷土への貢献

故郷である熊本への郷土愛が強く、震災や水害などの慰問活動や地域貢献イベントへの参加なども活発に行い、熊本の各自治体からの賞もいくつか受賞していた。

Youtubeチャンネルでも熊本県の名産を紹介したり、方言の替え歌カバーなどの企画を行った。

突然の訃報

2023年、デビュー50周年を迎えさらなる活動の意欲を表明しており「今まで行ったことのない場所にもコンサートに行きたい」「100歳まで歌いたい」と語っていた。

しかし8月下旬に体調の異変を感じて受診、 膠原病自己免疫疾患の一種)に罹患したと発表し、予定していたライブもキャンセルの上活動休止し療養していたが復帰への強い意欲も明らかにしていた。

2024年1月9日、公式サイトで「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と、それに伴う急速進行性間質性肺炎を発症したことが原因で2023年12月30日に逝去していた」旨が発表された。

抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎は暴走した自己免疫が筋肉を攻撃して炎症を起こす病気で、膠原病の中でも症例が多い方ではないものの生命に関わる可能性も高く特定難病の一つでもある。

間質性肺炎もこの疾患の典型的な併発リスクであり、そうなると急変の可能性が出やすいことでも知られている。参照、Xでの膠原病専門医師による解説。八代の場合も年末に急速に容体が悪化したという。

所属事務所社長コメントによるとそんな中でも彼女は両親からの教えである「常に感謝するように」を守り、所属事務所の職員や自身の治療にあたる医療スタッフに「みんなありがとう」と感謝の言葉を伝え続けていたという。

この訃報は同業者にもショックが大きく、同世代の小林幸子小柳ルミ子は「なんでなんで」と動揺を隠さないコメントを発しており、同じ県出身の後輩ということで八代に可愛がられていた島津亜矢も「大好きだった」「涙が止まらない」と述べている。

熊本県のローカルメディアでも大きく報じられ、自身も音楽好きである熊本市長の大西一史や出身地八代の中村博生市長などの県内自治体首長からもお悔やみが表明された。

葬儀は本人の生前の意向もあり親族やスタッフのみで執り行われ、棺には愛用の衣装と絵筆が納められた。

ファン向けには後日お別れ会を開く予定。

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  • 追悼句

    私が八代亜紀さんを知ったのは、『とっても!ラッキーマン』の主題歌でした。 その時子供だった私は何も知らずに一緒にOPを歌い、むしろ居合わせた母が「凄い人が歌ってるんだからね!」と驚いていました。 当時は、アニメや漫画は“子供が見るもの”、“見てると馬鹿になる”というイメージがまだ根強かった時代。 既に大ヒット曲を数多く出している大歌手が主題歌を歌って下さることの凄さ(しかも出だしはその大ヒット曲のパロディから始まる)、そして八代さんの気さくさや周りに左右されない芯の強さを、大人になってから理解すると同時に、八代さんの歌声とお人柄に惹かれたことは言うまでもありません。 突然の訃報がまだ信じられず、また歌番組にあの素敵な笑顔で出て下さるのではという思いが消えずにいます。 それほどまでに八代亜紀さんの存在と歌声は、唯一無二でした。 心より、ご冥福をお祈り致します。 [追記/2024.1.13] タグありがとうございます。

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