概要
無神論とは「神は存在しない」とする哲学、形而上学上の態度のこと。
無神論という名であるが、「神の存在は信じないが、悪魔、天使、精霊、妖精、妖怪、幽霊の類の存在は信じる」という例はまずない。
無神論とは超自然的な事柄全てを否定する立場、ということができる。ある意味では「神はいないという宗教」であるともいえる。
神は存在するという論のことは「有神論」という。英語のAtheismは有神論を意味するTheismに否定を意味する接頭辞aをつけたもの。
神が存在するかどうかは知りえないとする論は「不可知論」である。
たびたび「無宗教」と同一視されるが、無宗教は無神論や不可知論だけでなく、有神論のある立場(神は存在すると考えるが、特定の宗教の立場には立たない)も含まれる。これは、自身は特定の宗教や信仰を持たないが、他者の宗教や信仰は否定しないという考え方である。
日本では伝統的に本人の意志と関係なく檀家や氏子になるシステムがあり、それを統計に計上するため、統計上日本の総人口を超える宗教信者がいることになっている。しかし宗教行事への日常的な参加をしていても、それが信仰というよりは観光や儀礼に近いことが多く、事実上の無宗教者が多い。逆に、積極的に無神論を唱える人も珍しい。宗教や寺院への反感はあるが、神の存在が問題にされているわけではない。
無神論的宗教
広義には「至高の存在」「世界の中心、上位」としての神を認めない思想を指し、この観点から儒教や仏教を無神論、無神論的宗教と呼ぶ事がある。
例えば仏教は神々(デーヴァ)の存在を支持し、そのメンバーはヒンドゥー教と共通している。しかし創造主や主宰神という考え方を認めず、ヒンドゥー教義において至高の神とされるシヴァやヴィシュヌもまた迷える衆生とみなす。
宗教における扱い
神を信じる立場からすれば、無神論は虚偽という事になる。
だが、宗教の経典で「(自分達の信じる)神のみわざを信じない」不信心者について言及されることはあるが、明確に理論化され「イズム(論)」の域に至った無神論(アセイズム)が登場する事はまれである。
後述のアジタ・ケーサカンバリンは仏教聖典に登場するが、たまたま開祖ガウタマ・シッダールタと同時代に活動し、彼とその教団が結果的に記録された事による。アジタ・ケーサカンバリンと弟子たちは当時の社会で存在を認められていたようであり、迫害を受けていたという記述は残されていない。
海外における扱い
この項目を見ている人も「外国では無神論者を名乗るのはまずい」的な文章をネットで見た人もいるかもしれない。しかし、現在では中国や韓国はもちろん、欧米では日本と同様に世俗化が進んでおり、先進国で無神論や無宗教を公言するのはまず問題はない。
とはいえ、イスラム圏や南アジアなどでは、信仰を持たない者を道徳の根本を持たない危険人物、と見る人もまだ少なくは無い。ましてや無神論とは、ただの「空白」「ノーコメント」では無く「神の存在を積極的に否定する」ことを意味する。
イスラム圏
現代でもイスラム教国など無神論者であることを公言することが法的に制約や処罰の対象となる国々が存在する。
比較的厳格ではないインドネシアでもフェイスブックで「神はいない」と書いた男性が逮捕された。
ただ、トルコのナスレッティン・ホジャの物語では「神の存在をどう証明するのか。自分には信じられない」とモスクで聞いてくるキャラクターが悪役で無いキャラとして登場しており、同じ宗教でも時代と場所によっては無神論的な人物への印象は違ってくる。
南アジア
インドではヒンドゥー教至上主義が興っており、イスラム教との軋轢が激しいことが知られているが、無神論者も物理的な攻撃を受けた例もある。
南北アメリカ
アメリカ合衆国では都市部を中心に信仰を持たない人々が増え、そこには無神論者も含まれるが、保守的なキリスト教信仰を守り無神論に不信感を抱く人もまだかなりいる。福音派の活動が活発な米国では信用できない人物として無神論者をあげる人も多く、対抗として戦闘的な無神論者も目立つ。
また、21世紀以降のアメリカ合衆国においては「無神論者」に対しては、科学者のリチャード・ドーキンスなどの「宗教そのものを積極的に否定していく立場の人々」というニュアンスも加わっている。(例えば、「宗教こそが歴史上様々な争いを引き起してきたのではないか?」「発展途上国における福祉などの関しても、マザー・テレサなどより非宗教的なNPOの方が遥かに効率的で副作用が少ない方法を取っているのではないか」などの主張を行なっている)
2009年の調査によると、ブラジルでは無神論者が麻薬中毒者並みに嫌われていたという。
無神論である思想
古代の無神論
ギリシャにはデモクリトスやエピクロス、インドにはアジタ・ケーサカンバリンといった無神論者が存在した。
マルクス主義、共産主義
共産主義の始祖カール・マルクスの思想には政治・経済における主張や階級闘争だけでなく、超自然的なものの一切を否定する無神論も含まれる。
ソビエト連邦をはじめとする共産主義国家においては、強烈な宗教への迫害が繰り広げられたとされるが、宗教自体は否定されておらず、一定の制限はあっても布教も認められていた。無神論国家を標榜したのはアルバニアくらいである、無神論・唯物論の部分のみを留保する形で共産主義思想と信仰を両立している人は多くいる、南米で興ったカトリック系の思想「解放の神学」には共産主義の影響がある。イエズス会士が共産主義のシンボルである「鎌とハンマー」に十字架をドッキングさせたシンボルを作った事も。
日本共産党も宗教を否定しない立場をとり、そのためカトリックや天理教などの宗教信徒や仏教の僧侶にも多くの党員がいる。宗教都市京都では京都府委員会を西山浄土宗の寺院に置いていた時期があるほどである。
新無神論
リチャード・ドーキンスらが掲げる現代の無神論。宗教、とくにアブラハムの宗教に対する強烈な敵対心を持つ。
科学の称揚、女性の人権支持、LGBTへの寛容、動物愛護、菜食主義(ヴィーガン、ベジタリアン)を特徴に持ち、宗教をこれらに反する前近代的なものとする。
が、当の旗振り役の一人であるドーキンスが、トランスジェンダーへの疑問提起と称して「白人女性が黒人であると偽り続けてきた例」を引き合いに出し、アメリカ人道主義協会(AHA)から「ヒューマニスト・オブ・ザ・イヤー」受賞歴を撤回される処分がなされた(超有名な生物学者「トランスジェンダーを否定したからって中傷されてもいいの?みんなで議論しよう」→ 25年前の賞を剥奪される)。
彼自身、否定的で挑発的な言辞を軽率に口に出す悪癖があり、過去にも失言で炎上したことが複数回ある。
実在の無神論者
キリがないので歴史的な人物のみ
梶浦由記(実際には無神論者に「近い」としている)
架空の無神論者
関連タグ
クリフォト:「ヘルメティック・カバラ」実践者ウィリアム・G・グレイの解説では構成するクリファの一つに無神論を当てはめている。