The opposite of love is not hatred but indifference
(愛の反対は憎しみではなく無関心です)
来歴
本名は アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。
マザーは指導的立場にある修道女への敬称。テレサは修道名。
1910~1997年。マケドニア(旧ユーゴスラヴィア)生まれ。18歳のときロレット修道会のスターとしてインドにわたり、布教活動のかたわら修道会付属高校で教師として働く。36歳の時に神の啓示を受けて独自の修道会組織をつくり、貧しい人や孤児、難病患者の救済活動にのりだす。スラムの人々とともに暮らし、宗教や民族の壁をこえて「愛の奉仕」を実践するマザーの姿は全世界で熱い感動を呼び、1975年にはシュバイツァー賞、1979年にはノーベル平和が贈られた。日本にも三度来日。1997年9月5日、心臓発作のため87歳で死去。
語録
- 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
- 説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。
- 私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。だから、ともに力を合わせれば、素晴らしいことができるのです。
- 世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。あたたかい微笑み。妻に夫に子供に、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは愛を育てます。
余談
彼女は生前、周囲にこれからの宗教の役割は都会の孤独をどう向き合い、どう救って行くかがポイントだと述べてた。
批判
マザー・テレサは生前より多くの批判にさらされた。
マザー・テレサはハイチの独裁者ジャン=クロード・デュヴァリエやアルバニアの独裁者エンヴェル・ホッジャなどから資金を得ていたとも云われている。うちデュヴァリエからは叙勲を受けている。
又、彼女の建てた「死を待つ人の家」には医学的知識を持たない人ばかりであり、鎮痛剤も存在せず、医者ではなく修道女のマザー・テレサが主導権を握っていたため、その環境は医療関係者が絶句するほどの悲惨なものであった。
更には、こうした活動をすることでヒンドゥー教徒のインド人をキリスト教に改宗させる意図があったともされる(ただし、医療を通した布教自体は他の宗教団体も盛んに行っていることである)。
関連動画
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賭博破戒録カイジ……主人公・カイジが班長を倒した後、その金を山分けする際に横井がその優しさを「まるでマザー・テレサだ!」と称賛する場面がある。カイジは直後に「全然違うだろ!」と否定しているが、上記のマザー・テレサの批判と併せてもカイジの言葉は意図せずに当たっていたりする。
HUGっと!プリキュア……彼女の言葉が登場人物のひとりによって引用されており、ストーリーにおいて重大な役割を果たしている。