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概要編集

キリスト教用語の「修道士」とは、修道誓願を立て禁欲的な信仰生活をする男性のことである。女性の場合は「修道女」という。西方教会では、修道会に所属して誓願と会の規則にしたがって生活する人々のことを指す。カトリック教会では修道者ともいう。聖公会では修士とも呼ばれる。他方、修道会制度を持たない正教会・東方諸教会では、修道誓願をたて剪髪式を経て、多くの場合修道院で生活を送る人のことで、生涯独身である。


またカトリック・正教会では聖職者という言葉は聖書の内容を教える人(教役者)のことを指しており、修行者である修道士は聖職者にカウントされない。ただし修道院の中に聖職者である修道司祭(後述)などが置かれる。


歴史編集

キリスト教での修道者は主に3つのスタイルがあり、イメージも異なる。


カトリックの修道会の系譜編集


原始的修道者編集

原始的な修道者は、「荒野で俗世間から離れて(隠遁して)宗教的修行をする」という隠者型のものである(ハーミット hermit、エンコライト anchorite)。イエスに洗礼を施したバプテスマのヨハネ、あるいはイエス本人も荒野で宗教活動をしており、ゾロアスター教等のダルビッシュ dervishに見られるように、キリスト教以前からオリエント世界では良く見られた修行であった。絵に描くと粗末な衣装に髭を伸ばし放題で仙人のような格好になるのがこの時代の修道士である。修道服の基本形態もこの時期の衣装に由来する。


こういった「荒野の修道者」が互助組織を作り、集住したのが修道会の始まりである。集住した修道者はシーノバイト cenobite と呼ばれる。


【タロット】IX.隠者修道士I


学者修道者と農民修道者編集

「俗世間から離れて宗教的修行をする」というスタイルは西欧東欧にも広がり、岩山の上(例:モンテ・カッシーノ)や孤島(例:モン・サン=ミッシェル)、人里離れた未開拓地などにそのための施設である修道院が作られるようになった。修道院は荒野の放浪にならって自給自足を旨としたところが多く、農業技術が発達することになった。またミサに必要なワインも自給自足したため、醸造で有名な修道院も多くあった。(最終的に神学を教えるため)学校も内部に備えており、中世前半の西欧では修道院が唯一の高等教育機関でさえあった。この時期の修道院では、聖職者への道を歩む学者修道士(Choir monk)と農作業・家事修道士(lay brother / lay sister)が分離する傾向もあった。「本を持って執筆に励む修道士」の姿は概ねこの時期に形成されたものである。


カトリックでは修道会はローマ教皇の許可のもとに作られた。この時期を代表する修道会は6世紀に作られたベネディクト会である。



目的別修道者編集

中世も後半に入ると、特定の目的を持った修道会が出てくる。十字軍を目的としたテンプル騎士団(12世紀)などの騎士修道会、ルネサンスの爛熟の中で清貧を訴え私有財産を禁止した托鉢修道会のフランシスコ会(13世紀)、プロテスタントへの対抗と大航海時代の中で宣教を目的としたイエズス会(16世紀)、教育機関設立を目的としたラ・サール会(17世紀)などである。修道会ごとの目的も多様化していくため、典型的な修道士像も拡散していく。ただし、修道服の基本形態については、スカラブリオが追加されたなどの変更を除いて基本的に前時代と一緒である。托鉢修道士はフライアー friarとも呼ばれる。学者修道士の中にも単に古いものを学ぶより新しいものを研究するという気風(スコラ学)が生まれ、トマス・アクィナス(ドミニコ会)、オッカムのウィリアム(フランシスコ会)などが有名である。


十字軍283 フライアー/ローブを着た男


修道司祭編集

修道会には修道士かつ聖職者である修道司祭がいることがある(当然ながら男性のみ)。通常は一般修道士と共に修道生活を送るのだが、教区司教が適当な修道会に依頼を行い、その派遣という形で宣教活動に従事する場合があり、その場合は教会で暮らすこととなり、一般信徒とも付き合いが生じる。日本では修道司祭が担当している教会がかなりの割合となっている。


中には司教に任じられるものもいる。司教に任じられると上長への忠誠の義務はなくなり、代わりに教皇と先任司教たちへの忠誠に変わる。


なお現教皇フランシスコはイエズス会出身である。グレゴリウス16世以来約170年ぶりの修道司祭出身者の教皇選出であった。


世俗権力とプロテスタント編集

中世中盤の修道院は大量の寄進をうけて大きな領地と資産を持ち、金融業で稼いでいるようなところもあった。この影響でプロテスタント側からは修道院は堕落とみられ、プロテスタントの勢力圏では修道院が破壊される例も少なくなかった。このような背景があるため、プロテスタントにはルーテル教会に女子修道会があるなどの例外を除いて、修道会が存在していない。


正教会編集

正教会では、修道会は設けられず隠者が集住するタイプの修道士にとどまっている。修道院に入っただけでは聖職者ではなく、修道司祭が別に設けられているのは西方教会と共通である。正教会の修道院では

  1. ポスリュシュニク Послушник ―― 入門したばかりで修道服を着ない段階
  2. リャソフォル Рясофор ―― 本格的に修道院入りした人。
  3. イノク Инок ―― 修道院に入って長い人。修道女聖職者になれないのでここまで。
  4. モナフ Монах ―― 俗世から完全に離れる新たな修道誓願をした修道士。帽子などを含めた修道服のフルセットが与えられ、半聖職者となる。小スヒマとも。
  5. スヒマ Схима ―― 修道院内の聖職者。修道司祭、典院、掌院(修道院長)を含む。大スヒマとも。

というような段階を追う。


大スヒマ修道士



関連タグ編集

キリスト教 修道僧 モンク 修道者 修士

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