概要
概要の通り、「宗教的共同体の一員の女性」を指す言葉であり、広義の概念としてはキリスト教のみならず他宗教についても含まれる。
キリスト教用語としての修道女は、修道誓願を立てて実行する女性であり、修道士の女性版である。歴史的な経緯から修道制度はカトリックや正教会、および古い分派にのみ存在し、プロテスタントや聖公会ではこれを置かないので、プロテスタントの修道女は基本的にいない(プロテスタントでも最古参のルター派は例外)。
ちなみに、日本国内においては「修道女」といわゆる「シスター」が混同されて同義語的に扱われているが、厳密には明確に異なるものであり、「修道女」が歴史的には盛式誓願を立てて僧院や修道院で祈りと観想の生活を送る(観想修道)のに対し、「シスター」は単式誓願を立て、教育や医療などの分野における祈りの活動と慈善事業(活動修道)に生きるという違いがある。
後者における「シスター」という言葉については、呼びかけ語であり、司祭がファーザー(神父)と呼ばれるのに対して一般信徒や一般修道者がブラザー(兄弟)やシスター(姉妹)という関係である。
修道女がすること
- (女性は聖職者に叙階されない規定だが)学者修道女もおり、数少ない女性教会博士であるアビラのテレサ、シエナのカタリナ、リジューのテレーズはいずれも修道女である。
- 世界で最も有名な修道女は、社会奉仕活動を目的とする修道会を設立したマザー・テレサであろう。
- 悪魔祓いに動員されることがある(21世紀になってからも実例あり)。ただしその責任者になることはできない。
修道女がしないこと
- 通常は修道院で寝起きしており、在家信徒のための施設である教会にはいない。教会で奉仕している信徒は修道女ではない。ただし、普通は修道院内に修道女のための礼拝堂があり、この空間は非キリスト教徒が抱く教会のイメージに近い(というより、非キリスト教徒が教会に抱くイメージが聖堂や礼拝堂のものである)。また何らかの理由があって修道女が教会を訪問することはある。
- キリスト教では平の修道士・修道女は教役者(聖職者)ではなく、教えられ導かれる信徒である。男性の修道士の場合は聖職者に叙階されて修道司祭になることはあるが、修道士制度を持つカトリックや正教会では女性は聖職者になれない。
- 病者に塗油する、懺悔を聞く、ミサを執り行うといったことは、司祭など聖職者のみが行う秘跡であり、修道女にそれをする資格は与えられていない。修道女が司祭に懺悔することはある。
- 修道生活は本来は出家的なもので俗世間とは断絶するものなので、修道女であると同時に世俗の職を持つようなことは基本的にない。
- ただし、修道院の自給自足のための学校・医院・醸造所は外部に開放されていることが多く、ほとんどの時代で外部との一定の関係は保たれている。
- また、1900年代から、誓願を立てて独身を貫きつつ、世俗の中に身を置き、世俗の職に就きながら奉献の道に生きることを可能とする「在俗会」という新しい会が広まったが、世俗に身を置き続けることになるのでシスターやブラザーの身分とは同一視されず、それらの呼びかけもなされない。
絵に描く時の容姿
詳細は修道服の項を参照。一般的な修道女の衣装や容姿に関しては、(フィクションであるが)映画「天使にラブソングを…」が日本人には分かりやすい。
空想上のシスターは大抵若く美しい(そしてしばしば露出度が高い)が、修道女は修道院のなかでずっと生活していくので、年齢構成は外の社会と基本的には同じである。むしろ修道女になろうという若い女性が減り、配偶者と死別後に修道院に入る人が増えたので実際のところ高齢化している。空想上のシスターが若く美しく性的魅力があるというケースは、日本に限らず欧米でも珍しくない。