概要
この人物、セシル・ジョン・ローズはイギリス生まれであるが、南アフリカにて資本家および政治家として活躍した人物である。
二つ名は「アフリカのナポレオン」、アフリカ大陸に彼が立っている風刺画で有名である。
経歴
- 1853年、イングランドのハートフォードシャーに生まれるも、父親は彼の体の弱さを心配し南アフリカの兄のもとで育てることになった
- 無事育った彼は坑夫となるが、才覚を発揮、採掘権への投機やポンプの貸し出しで財を成す
- 1880年、デ・ビアス鉱業会社をロスチャイルド財閥の資金提供を受け設立、ケープ植民地(南アフリカに存在したイギリスの植民地)議会の議員となる
- 1884年にケープ植民地政府の財務相となる。この間もデ・ビアス鉱業会社は膨張を続けており、ケープ植民地の北東部に存在したオランダ系移民(ボーア人)の国、トランスヴァール共和国の金採掘にも進出している
- 1889年、イギリス南アフリカ会社( 東インド会社等と類似した警察権・統治権をもつ会社 )の設立特許を獲得
- 1890年、首相に就任、このころには南アフリカの鉄道・通信・新聞業をもその支配下に入れていたようである
- 1895年、トランスヴァール共和国侵略のため間接侵略、具体的にはクーデターの支援を行い同時に会社の軍隊を侵攻させる作戦を立てたが蜂起に失敗、会社の軍人リンダー・スター・ジェームソン率いる軍隊が突撃するが捕虜にされた
- 1896年、上記の件により政治家としては失脚
- 1899年には第二次ボーア戦争が開戦。開戦直後にボーア人に包囲されるが4か月後救出、ただしこれにより健康状態は悪化したとされる
- 1902年、死去。なお独身であった。
そのほか
- 「アングロサクソンこそ最も優れた人種」であり「彼らによる地球全体の支配」が「人類の幸福に繋がる」という帝国主義と人種差別主義を併せ持つ思想の持主であった
- デ・ビアス鉱業会社はのちにデビアスグループとしてダイヤモンドのカルテルを展開し、いろいろと有名となった企業である。
- この人物の功績としては「アフリカの一部に電信および鉄道網を敷いた」ことがあげられる
- 人妻のストーカーが存在するため少なくとも顔は悪くなかったようであるが、独身を貫いたため同性愛者扱いされることがある
- 遺産はイギリスに存在する世界で3番目に古い大学オックスフォード大学に寄贈され奨学金として運用されているが、「実は秘密結社を立ち上げており資金はそちらに行った」などという陰謀論が存在する
- 有名な風刺化に関しては七不思議の一つ、「ロードス島の巨像」をかけたものであるとされる