概要
国家元首とは英語の"head of state"、フランス語でいう"chef d’État"の訳語である。つまりはその国の代表者のことを指す。略して元首とも呼ぶ。
誰がその国で一番偉く代表する資格があるのか、という問いには国の数だけ答え方がある。実際、元首の持つ権限や義務、職務そのものも国によって千差万別である。絶大な権力を持った元首も存在すれば、何の実権を有さない象徴的な元首も存在する。そもそも国際法に従って元首という地位を明示的に定める義務もないのである。しかし、国際法上で元首には広範な特権が認められているので、近代国家が他国との国交を開く時には、相手国のだれを元首と見なすかも決めるのが慣例。
一般には皇帝、国王、ローマ教皇、大統領、総統、国家評議会議長、国家主席、最高指導者などが該当する。また、国家元首が誰であるかによって国の「政体」の呼び方が変わる。君主が元首であるなら「君主制」、大統領など民選の人物が元首であるなら「共和制」とするのが一般的。
権限
主に外交上もしくは他国に滞在する際に適用される国際法上で保障された権限としては以下の特権がある。自国内での内政に関する権限については国によって全く異なり、その詳細は後述の通り。
- 儀礼。元首に対しては同じ国でも首相などの他の要人とは区別された特例の儀礼が用いられる。
- 不可侵権(他国の元首の身体、住居、名誉などは不可侵である)
- 治外法権(逮捕や裁判、課税などの免除。近年は何らかの理由付けによって他国の元首を逮捕して裁判にかける事例もなくはないが)
- オリンピックの開会宣言。オリンピック憲章には元首による宣言が規定されているので、元首の地位を法制化していない開催国の場合は誰を元首として開会宣言を行うべきか判断を必要とする。
- 外交官、領事官の派遣と接受(形式上であってもこれらは国際法上で元首が行う職務と見なされる)
- 宣戦、講和、条約の締結(実質上の判断は首相などが行い、元首は形式的に追認する場合も含む)
種類
君主制
君主制国家においては国王や大公(公、侯)、スルタンなどの号が一般的。後述するが世界的には日本の天皇も含まれる。
君主制国家そのものが少なく、その大半が憲法によって君主権力が制限される立憲君主制国家に属するものの、君主が政治的にも絶対的権力を握る絶対君主制国家もオマーン、サウジアラビアなど少数ながら存在する。
立憲君主制国家においても、どれほど君主権力が制限されるかは国によって異なる。イギリス、スウェーデンなど多くの国では実権が議会と議会が選ぶ首相にあり、君主の政治活動は形式的な制度が多い。日本もこの類型に含まれる。しかし、モロッコやブータンなど、憲法によって君主に広範な政治権力を定めている場合もある。
なお歴史的に考えていくと、公や候の称号は欧州史的には国王との格の違いがあったり、東洋史的には皇帝は国王より上ではないかとか、どちらの称号が格上かを考えようとする人もいる。しかし現代の国際的な外交儀礼上は、全て国家元首は国家元首として対等に扱わないといけない。ある意味では首相クラスの首脳よりも国家の威信を背負った存在なので、無用の外交問題を起こさないように要注意である。
君主が選挙される君主制
君主制であれば、血統による世襲で国家元首となる制度が一般的であるが、必ずしもそうではない事例もある。
キリスト教・ローマカトリック教会の枢機卿同士の互選によって選ばれるローマ教皇が元首を務めるバチカン市国や、世襲の首長の互選によって大統領が選出されるアラブ首長国連邦(UAE)などがそのような事例になる。ただし、UAEでは慣例上連合トップのアブダビ首長が常に大統領に選出される。
一般的にはこれらも君主の一員として見なされ、君主国に分類される。
ただし、宗教指導者が元首を務めるイランにおいては、後述する理由で一般的にこの形態の君主国に見なされない。
共和制
大統領や国家主席など、共和制国家における一般的元首。選出方法は様々であるが、少なくとも普通選挙による選出を基軸することが要件となる。
例えば、直接選挙によって選出される国(アメリカ、フランスなど)、普通選挙によって選出された国会議員によって選出される国(南アフリカなど)がある。
大統領の役割も様々である。大統領が行政における長を兼ねるアメリカなどの大統領制では首相が存在せず閣僚は大統領が指名して大統領に責任を負う。すなわち行政に関しては大統領個人にあらゆる権力が集中する制度と表現してもいい。しかしフランスなどではしばしばその力が首相と分散される半大統領制が取られる。行政権の長は大統領であるが、議会が大統領とは異なる政党に制されていれば、大統領の意思を無視した首相が選ばれて大統領と行政権を分割遂行することもある。ドイツ、イタリアなどの大統領は儀礼的な役割しか果たさず、実質上の権力者は首相などの政府首班が有する議院内閣制である。
なお、選挙システムが厳しく制限されているか、もしくは形骸化しているか、全く存在しない国においては後述する独裁政体に分類される。
しかしこのような場合でも、血族世襲を明記せず、更に世俗的なシステム(政治的な問題など)に起因した国家であるなら共和制に分類される。
独裁者
国家元首には独裁者として実権を握っているものも存在し、実権の無い代表者に過ぎない元首を担いで専制的な政治を行っている独裁者も存在する。
なお軍事政権において以前の国家元首が排除されその役職に政権の長が就任しない場合、最高司令官が国家元首ということになるが、現在では軍事政権の最高司令官、特にクーデター等暴力により成立したものは国際的に国家元首とは認められないケースも多い。
イランの事例
イランは一般的に大統領制に分類される共和国と見做されている。外交上の大使派遣や条約締結に関する権限も大統領が保有するので大統領は元首と見なせる。
しかし、イランには強い宗教的権威に依る「最高指導者」がおり、大統領の解任や軍最高司令官の権限、宣戦布告権など大統領よりはるかに強い権限を有している。日本の外務省では、イラン元首の権能が最高指導者と大統領に分有されているという解釈を取っている外務省HP。
特殊なもの
以下の事例は元首の立場における極端な事例である
- スイス 連邦参事会という内閣そのものが国家元首と憲法に明記されている稀な政体。しかし国際法では単独の個人を元首と見なすのが慣例である為、外交上は連邦参事会参事の一人で毎年輪番制で就任する連邦大統領を元首として扱う。
- アンドラ フランス大統領とスペインのウルヘル司教が共同元首とされる。実務は共同元首の駐在代理官が代行する。かつてフランス貴族フォワ伯とウルヘル司教がアンドラの統治権を争った際に調停案として生まれた制度。後にフランスで貴族が廃止され、フォワ伯の権限はフランス大統領に引き継がれた。その結果、ウルヘル司教が外交スタッフを持たないことを利用してフランス外務省がアンドラの元首外交権を専横するといった悪弊も生れた。現在は完全な象徴元首制に改革されている。
元首の明記の必要性の有無
そもそも国家元首とは国の長を国際法や外交上で一律に呼称するための慣例的なもので、これまでの事例を見てきたように各国で選出方法も立場も大きく異なる。元首が憲法に明記されていない国家もしばしばある。例えば、日本やアメリカ(合衆国憲法には「執行権は、アメリカ合衆国大統領に属する。」としかない)などがある。
国の長をどのような地位をするかは全くその国の事情によるので、国際法的に一般的な元首像と国内における政体とは齟齬が見られるのが常である。すなわち、国家元首とは外交関係を結ぶにおいて「自国と相手国のそれぞれ立場を相対的に表した」目安に過ぎないとも言える。先述の通り特定の人物を国家元首に有さないスイスでも、国際慣例上連邦大統領を国家元首と見做して外交を行う。たとえば国連総会で元首が出席する会合を行う際や、元首による宣言が慣例となっている五輪の開会宣言などがその例である。
日本の国家元首
上述したように、日本は「元首」が誰であるかが憲法上明文化されていない。現日本国憲法の制定時、マッカーサーは天皇を"head of State"として憲法に記載するようにホイットニー民政局長に指示した(「マッカーサー・ノート」記載)が、総司令部案では"Symbol"という言葉が用いられ、それが公布された憲法にも「象徴」と訳して採用されている。内閣憲法調査会「憲法運用の実際について第三委員会報告書」によると、象徴という語は欧州的な"head of State"を否定する趣旨ではないが、元首という語を用いると明治憲法との連続性が強すぎて日本の民主主義に悪影響を及ぼすと見なされた判断であるとのこと。
現在の日本の天皇が「元首」であるか否かは、現行憲法(日本国憲法)における天皇に関する記載が曖昧な表現のため、憲法学上は諸説あることとされている。説によっては内閣総理大臣あるいは内閣が元首、あるいはそもそも元首なるものは存在しないなどとという説まで存在する。
しかし、元首の(首相などの事前承認を得る場合も含め)職務として国際法が求める大使の派遣と接受、条約の批准などは憲法上で天皇の国事行為である。外務省も日本の元首は天皇であるとしている。諸国の例でも法文上の様式により国家元首と明記されない事例はしばしば見られることでもある。このため、国王や大統領との儀礼会談は常に首相ではなく天皇が行い(首相が行うのは政治的な実務会談)、各国の最高勲章の儀礼叙勲も天皇に対して行われる。憲章上元首の宣言が求められるオリンピックの開会宣言も、過去全て天皇が行っている。
上記のことから憲法改正において日本の元首を天皇として明記することが検討されているが、そもそも国家によっては元首の立場は大きく異なり、あくまで明記するかどうかは慣例によるものなので、そもそも必要ないとする説もある。