概要
第二次世界大戦後において、日本とインドとの間で1952年に結ばれた講和条約である。正式な名称は『日本国とインドとの間の平和条約』。
インドは初代首相ジャワハルラール・ネルーが、サンフランシスコ講和条約の日本に対する扱いの不当性を指摘し、条約への調印を拒否したことから、この二国間での講和条約を結び、国交を樹立した。
この条約の中で、インド側は日本に対する賠償請求を全て放棄している。
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にちいんへいわじょうやく
第二次世界大戦後において、日本とインドとの間で1952年に結ばれた講和条約である。正式な名称は『日本国とインドとの間の平和条約』。
インドは初代首相ジャワハルラール・ネルーが、サンフランシスコ講和条約の日本に対する扱いの不当性を指摘し、条約への調印を拒否したことから、この二国間での講和条約を結び、国交を樹立した。
この条約の中で、インド側は日本に対する賠償請求を全て放棄している。
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