概要
人民の意思疎通を容易にするため、中国大陸では、中華人民共和国の中央人民政府の標準語政策により、北方語の発音・語彙と近代口語小説の文法を基に作られた「普通話」が教育や放送で取り入れられ、標準語・共通語とされている。全人口の8割弱が普通話を理解でき、方言話者の若い世代は普通話とのバイリンガルとなっていることが多い。
普通話の成立と普及
中国では文章語は古代より統一されていたが、口語は各地方ごとに異なり、同じく漢字の発音も各方言ごとに異なっていた。「同文異音」と呼ばれるこの状況は古代からの課題であり、幾たびか是正が試みられてきたものの、本格的に共通語の樹立が試みられるようになったのは清末以降のことである。
清朝末期から中華民国初期(20世紀初頭)に教育のために言語統一案が検討され、清朝で一旦は決定されたが、1911年10月に発生した辛亥革命の武昌起義より中止となる。しかし中華民国政府はこの方針を継承し発展させ、1920年代には現在の普通話と非常に近い中華民国国語が確立された。
中華人民共和国成立後、共通語が中華民国の「国語」から「普通話」に変更された。1955年の「全国文字改革会議」で、張奚若は大会のテーマ報告書で、「中国たちが多民族の大家族であることを際立たせるために、中国たちの各民族の言語と文字の平等を際立たせるために、深く研究した結果、私たちは「国語」という呼び方をしないことにした。「国語」と呼ぶと、漢民族の言語を国内の他の民族よりも凌駕すると誤解される恐れがある」と述べた。そこで、中国政府はマルクス主義の民族な平等の概念から、同時に言語使用の実際の需要を考慮し、現代標準汉語を「普通話」と定義し、「国語」という呼称を廃棄した[1]。1955年以降から公的な統一言語化の動きとなり、翌年に新たな簡略化した漢字表記(簡体漢字)を公表。1982年11月に公式に普通話の普及が中華人民共和国憲法19条において規定された。
普通話の制定以来、特に普通話との差異の大きい南方諸方言地域やそもそも汉語系の言語を使用していない少数民族地域において、普通話は積極的に普及が図られてきた。
少数民族地域においては、建国当初は諸民族言語における文字の創成とそれによる教育が規定され普通話教育の規定はなかったものが、1980年代以降は民族言語の他に普通話の教育が義務付けられるようになった。
南方諸方言地域は、とくに普通話との差異の大きい閩語を主に使用する福建省や広東語を主に使用する広東省などでは両省政府によって普通話普及が重視された。こうした普及政策や、なによりもテレビなどのマスメディアでは主に普通話が使用されることなどから各地で普通話の普及は進み。
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