概要
正式名称はパラオ共和国。首都はマルキョク(2006年まではコロール)。通貨は米ドル。
日本との関係の多さで知られる国家であり、独立時の大統領クニヲ・ナカムラ氏など日系人が多い。パラオ国民の多くはキリスト教徒であるが、国内に神社(南洋神社・ペリリュー神社)を有している。
世界で唯一、公用語を日本語とする国でもある。(日本の公用語は法的根拠がない)
産業
主な輸出品はマグロとココナッツ。観光産業も盛んで、美しいサンゴ礁が知られており、ダイビングの名所である。
太平洋戦争(大東亜戦争)の激戦地であり、特にペリリュー島には日米両軍の多数の死者が眠っている。そのため、観光だけでなく慰霊に訪れる旅行者も多い。
歴史
起源
16世紀頃よりスペイン ポルトガル イギリスなどの入植を受け、1885年よりスペイン領東インドの一部として正式に植民地化された。その後1899年にスペインからドイツへと売却された。この間、植民地支配による搾取に加え、ヨーロッパより持ち込まれた天然痘により人口がそれ以前に比して90%減少したと言われる。
日本統治
第一次世界大戦でドイツが敗れたことから、パリ講和会議において国際連盟による委任統治を日本が行うこととなった。ドイツ統治下と異なり台湾や朝鮮の保護統治に倣って近代化のためのインフラ整備や医療施設の整備他、特に地元民の学校教育に力が注がれるなど、生活水準の向上が図られた。
太平洋戦争が開戦した際には、自ら志願して日本軍に参加するパラオ人も存在し、パラオ人で構成された『パラオ挺身隊』が組織され、ニューギニア戦線へ送られた。
戦後
1944年、パラオにおいて日本軍とアメリカ軍が戦闘状態となった。
ペリリュー島では日米間で約5倍の兵員の差があったが約2ヶ月戦闘を継続した。
アンガウル島においては約15~17倍程度の兵員の差があったが、米軍は上陸より全島占領までに約2週間を要し、その後も日本軍は3週間弱抵抗を続けた。
アンガウル島の戦いの終了を以って、パラオにおける日本軍の戦いも終了した。
近代化
1981年に憲法が発布され自治政府が発足、1982年にアメリカと自由連合盟約を合意。しかし、7回に渡る住民投票で不承認が続き、1992年にパラオ憲法の非核条項を適用しないという条件で承認、1993年の8回目投票でようやく承認され1994年独立。
日本との関係
他の統治国に比べ、日本の統治が良心的とされたからか、パラオは日本の旧統治地域の中でも親日的であると目されている。
アンガウル州でのみ、パラオ全土で公用語とされる英語・パラオ語に加えて日本語も公用語となっている。
「ダイジョウブ(OKという意味)」「デンキ」「ジャンケンポン」など日本語由来の現地語も数多く流通している。
国際空港ターミナルや日・パラオ友好橋といった、日本の官民によるパラオへの経済協力と投資も盛んに行われている。
日本統治時代に建てられ戦後にも地元パラオ人の協力によって再建された『南洋神社』の中には、パラオ人戦没者の顕彰碑が建てられている。
戦後70年となる2015(平成27)年4月8日、当時の天皇皇后両陛下が戦没者慰霊の為にペリリュー島を訪問。
渡航
90日以内の短期滞在であれば滞在許可証がそのまま査証になるため事前申請は不要。
成田からチャーター便もあるが、基本的にはグアムやマニラ、台北、ソウルで乗り継ぎが必要。(直行便は2018年に廃止)
日本の外務省は危険情報はないが、空き巣や強盗、水難事故に注意とのこと。
トリビア
人名
「イシドロ」という名前の人が存在する。これに対して神社などの「石灯籠」から来ていると言う逸話があるが「イシドロ」はスペイン(ヒスパニアとマドリード)の聖人の名前であり、パラオはキリスト教徒の多い国である。また、他にキリスト教由来の名前を付ける人は多い。
わかりやすい実例としては国旗のデザインを行った John Blau Skebong 氏のJohnは「ヨハネ」
第9代大統領 Thomas Esang Remengesau, Jr.のThomasは「トマス」であり、共にキリストの十二使徒の名前を由来とするものである。
ただし、実際に日本人風の名前である場合もあり、複数の文化圏に由来する名前が混在していることから、様々な統治国の文化を取り入れて行った事が窺える。
ちなみに名字が日本人の名前を付ける人もいる。(例:トーマス・キンタローなど)
国旗のモチーフは?
「パラオ国旗は日本国旗をモチーフとしている」という説があったが、これはデザインをしたJohn Blau Skebong 氏自身に明確に否定されている。
一方で、ミノル・ウエキ元駐日パラオ大使が2015年4月8日に放送されたテレビ番組において、日本国旗をモチーフとしている説を肯定している。
謎の詩文
ペリリュー神社境内に「アメリカ太平洋艦隊司令長官・ミニッツ海軍元帥」の詩文碑が存在するが「元空幕長の浦茂が確認した」と「名越二荒之助が主張している」物で、誰も「ミニッツ自身の原本」の実在を確認していない。
関連タグ
アントニオ猪木:「イノキ島(俗称)」の名誉オーナー。
今田耕司:委任統治領時代に母方の家系が暮らしていたことがある。