ラッキールーラ
らっきーるーら
1974年2月22日、北海道伊達市の高橋農場で誕生。早生まれで大きく育ち、健康で牧場からの評判も高かった。
1975年11月、尾形藤吉厩舎(東京競馬場)に入厩。吉原貞敏が馬主となる。
3歳
1976年8月15日、函館競馬場の新馬戦でデビュー、伊藤正徳が騎乗し3着、続く2戦目の新馬戦は2着。3戦目、10月の中山競馬場の未勝利戦で初勝利。続く白菊賞はカネミノブに敗れて2着。さざんか賞で2勝目を上げる。ひいらぎ賞はプレストウコウに敗れて2着となった。
4歳
4歳となった1977年、1月の京成杯2着、2月の東京4歳ステークス4着とどちらもヒシスピードに敗れた。
3月の弥生賞(芝1800m)では逃げの手に出て、カネミノブやプレストウコウを退けて優勝。弥生賞レコードでの重賞初制覇となった。タイムは1.49.8。
なお弥生賞当時の馬体重は540kg。絞ってこれである。
いつしか巨漢馬の仲間入りをしていたラッキールーラは、クラシック路線へと進む。
クラシック初戦皐月賞はハードバージにインコースを付かれ2着。続くNHK杯ではプレストウコウに敗れ4着。
そして第45回東京優駿。「最も運のある馬が勝つ」(ただし、この格言はイギリスのエプソムダービーを評した格言であり、日本のダービーとは無関係である)と言われるレース。
発走直後に先頭に立ったラッキールーラだったが、大外枠のワールドサバンナにハナを奪われ2番手で進む。最終コーナーにかけてワールドサバンナとの差を縮め、直線ではカネミノブとの先頭争いとなる。カネミノブを突き放したが、今度は外から1番人気のハードバージが迫る。しかしアタマ差競り勝ってラッキールーラが勝利。
この時のラッキールーラの馬体重は534kg。タイムは2.28.7であった。
馬体重534kgでの勝利は、現在でも東京優駿史上最高馬体重勝利記録として残っている。
秋は10月の中山競馬場のオープン競走で逃げ切り勝ちし、京都新聞杯は、単枠指定制度の対象となり1番人気で出走。逃げに出たが、プレストウコウにかわされ1馬身半差の2着。クラシック最終戦、菊花賞は1番人気で出走したが、九州産馬オサイチセイダイのハイペースの大逃げに対して2番手につけたこともあり、直線では全く伸びず15着に敗れた。優勝はプレストウコウ。
12月に入って、左前脚に深管骨瘤を発症。長期休養に入る。