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カラカッラ

からかっら

第23代ローマ皇帝。アントニヌス勅令を出しローマ全土の自由人にローマ市民権を付与した。石膏デッサンのモデルとしても知られる。
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概要

本名ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス
ラテン語Lucius Septimius Bassianus
皇帝名インペラートル・カエサル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス(211年)
元字Imperator Caesar Marcus Aurelius Antoninus Augustus
世没188年4月4日 - 217年4月8日
在位209年 - 217年4月8日
就任209年2月

一般には綽名のカラカラ(Caracalla)で呼ばれることが多い。ラテン語の「ll」と「rr」については促音(ッ)で表記されるケースと無視して書かれるケースの両方の表記法が存在する。ここでは他の「カラカラ」との重複を避ける意味で「カラカッラ」を記事名に使用している。

ローマ帝国第23代のローマ皇帝セウェルス朝に属する。
彼の父セプティミウス・セウェルスカルタゴ出身であり、フェニキア系であった。カラカラはそのセウェルスとラテン系の母との間に生まれた。

セウェルス朝をひらいたセプティミウス・セウェルスの長男であり、ローマ史上に残る暴君の一人として記憶されている。カラカラはセウェルスの死後、帝位の共同継承者だであった弟ゲタ殺害弟が存在した一切の痕跡を抹消した。また兵士たちを高給で味方につけると、民衆も貴族も等しく暴力と死の恐怖で弾圧した。帝国の東方各地で略奪を繰り返し、住民を虐殺したあげく、個人的な恨みを買った近衛兵に、道端で放尿中に刺し殺されるという、非常に情けないシチュエーションの最期を迎えた。

享年29 20代であんな怖顔になるものなのか……。

アントニヌス勅令

カラカラは高校世界史の教科書にも名前が記載される皇帝である。しかしそれは前述の暴君としての記述ではなく、帝国の全自由人にローマ市民権を与えた「アントニヌス勅令」の発布者として、そして現在にまで遺跡の残る「カラカラ浴場」の建設者としてである。ここではアントニヌス勅令について触れておく。

「アントニヌス勅令」の名は、カラカラの属したセウェルス朝がマルクス・アウレリウスコンモドゥスらとの関係性を称して名乗った「アントニヌス」の名に由来する。
それまでローマ帝国に生まれ育った自由人はローマ市民権を持つローマ人と持たない非ローマ人とに分かれていたが、このアントニヌス勅令によって全てのローマ帝国の自由人にローマ人としての権利と義務が与えられた。自由人と繰り返したのは古代地中海世界では奴隷女性子供には正規の権利が与えられなかったためである。アントニヌス勅令もこうした人々は対象としていない。

勅令ついて古代の歴史家カッシウス・ディオは、税収拡大(相続税と奴隷解放税の対象を拡げる)が目的ではないかと述べている。
とはいえこの勅令には結果的にローマ領内における民族・人種による出自差別を撤廃した一面も存在し、そのことを後世評価する歴史家も存在する。少なくとも「ローマ人と属州民」によって構成されていたローマ帝国を大きく変容させたことは間違いない。
ただ「勅令以前からの市民」と「勅令による市民」という新たな身分ができてしまい、階層の固定化につながったという見方もある。

なお肝心の税収の確保については大した効果はなかっただろうと言われている。
また軍事面において、属州民に勤め上げればローマ市民権を付与するというニンジンをぶら下げることで構成されていた補助軍にこの勅令が与えた影響は決して小さくはなかった。

彫像

カラカラ帝


カラカラはとにかくその恐い顔の彫刻が有名である。強さ・暴力・軍人という自分の特徴を押しだした彫刻だという。古代ローマ由来としてはアグリッパブルータスなどと共にデッサン用の彫像して利用されている。

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