記録抹殺刑
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だむなてぃおめもりあえ
特定の人物の痕跡を抹消する古代ローマで行われた断罪方法。
記録抹殺刑は、Damnatio Memoriae( ダムナティオ・メモリアエ )の翻訳の一種、なお原義に沿った「記憶の断罪」といった訳語も使われ、この刑罰は帝政期のローマで行われた、対象者の死後その名前や肖像を記録や碑文から抹消する罰である。
背景
死後長く人々に記憶されることを望んだ古代ローマの上流階級の人々は、あやふやな「人間の記憶」のみに頼らず書物や碑文、彫像といった形で自らの名前が残されることを非常に重要視しており、記憶の断罪はこうした当時の心性を前提として、政治的に失脚した人物、たとえばクーデターを試み、失敗した人物やクーデターを起こされ敗北( 暗殺されたり自害したり )したローマ皇帝やその関係者に対して行われたが、特に皇帝( 当時および次の人物 )や元老院に嫌われた人物がこの罰を受けることが多いが、他の皇帝により刑罰を解除される場合も存在している。
事例
ローマ皇帝でこの刑罰を確実に受け、解除もされなかったと思われる人物としては元老院と対立したうえ、軍事面でもやらかしたドミティアヌス、およびカラカッラの弟であったが、仲たがいした挙句殺害されたゲタ帝が知られる。
そのほか
この刑罰を受けた、あるいは検討された皇帝を挙げるよりもその話がなかった皇帝を挙げるほうが早い、ということを見れば元老院と皇帝の対立は明らかになるかもしれない、またこの刑罰は基本的に暴君がこの刑罰を受けることが多いが、実は暴君として知られるカラカッラはこれを食らっていない、これはこの人物の暗殺がクーデターによるものではなく、個人的な怨恨によるものであることが大きい。
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