概要
記録抹殺刑は、Damnatio Memoriae( ダムナティオ・メモリアエ )の翻訳の一種、なお原義に沿った「記憶の断罪」といった訳語も使われ、この刑罰は帝政期のローマで行われた、対象者の死後その名前や肖像を記録や碑文から抹消する罰である。
背景
死後長く人々に記憶されることを望んだ古代ローマの上流階級の人々は、あやふやな「人間の記憶」のみに頼らず書物や碑文、彫像といった形で自らの名前が残されることを非常に重要視しており、記憶の断罪はこうした当時の心性を前提として、政治的に失脚した人物、たとえばクーデターを試み、失敗した人物やクーデターを起こされ敗北( 暗殺されたり自害したり )したローマ皇帝やその関係者に対して行われたが、特に皇帝( 当時および次の人物 )や元老院に嫌われた人物がこの罰を受けることが多いが、他の皇帝により刑罰を解除される場合も存在している。
事例
ローマ皇帝でこの刑罰を確実に受け、解除もされなかったと思われる人物としては元老院と対立したうえ、軍事面でもやらかしたドミティアヌス、およびカラカッラの弟であったが、仲たがいした挙句殺害されたゲタ帝が知られる。
そのほか
この刑罰を受けた、あるいは検討された皇帝を挙げるよりもその話がなかった皇帝を挙げるほうが早い、ということを見れば元老院と皇帝の対立は明らかになるかもしれない、またこの刑罰は基本的に暴君がこの刑罰を受けることが多いが、実は暴君として知られるカラカッラはこれを食らっていない、これはこの人物の暗殺がクーデターによるものではなく、個人的な怨恨によるものであることが大きい。
同様の処置
同様の例は他の時代・地域にも存在しており、特に独裁に近い政治体系をとる国および地域で見られ、ソビエト連邦においてスターリンとともに映っていたニコライ・エジョフが消されている比較写真などはインターネットでも知られる著名な例であり、そのほかにもソ連のトロツキーや、中華人民共和国の林彪などが同様の事例として知られる。
現代日本では
現代日本では不祥事を起こした人物がしばしばこれに近い扱いを受ける。
特に俳優や声優などが不祥事で役を降ろされた時は「そんな人初めからいませんでしたよ」な扱いにされることも…。
フィクション
その人物の痕跡すら抹消することで処断するといった強烈なイメージからフィクションで採用されることもあり、特にディストピアものなどではよく用いられる場合がある。