レギオン
- 共和政ローマのローマ市民軍
ローマ国家の元首政治以後の常備軍
共和体制時代から軍団は存在したが、戦争が終わると解散するのが慣習であった。
しかしアウグストゥスの単独のローマ元首以降、元首政体制に変革すると元首に常時仕える常備軍となる。
それまでの軍団は元老院・ローマ元首である2人の軍最高司令者コンスル職の指導を仰いでいたが。
元首政治以降は単独のローマ元首一人の指導を仰ぐ形をとるようになった。
- この装備は元首ティベリウスの時代からである。
ローマ全体での軍団の数は初代アウグストゥス以来だいたい25軍団であったが
20代元首のセプティミウス・セウェルス以降は33軍団に
44代元首のディオクレティアヌスには25軍団+4人の元首直轄軍団となった。
ローマ帝国軍は軍団長を頭にして配下の百人隊長を中心とした部隊で構成される。
古代で一番厳しい訓練を課した組織として有名であり、一糸乱れぬ統率を誇った。特に歩兵軍団の接近戦の戦闘力では向かうところ敵なしの状態であり、真っ向勝負では勝ち目はほぼなかったといわれる。
暴虐
残忍・恐怖伝説でも古代地中海世界でも有名であり、反乱を起こした属州や侵略戦争に敗北した所の人々はほぼ十中八九蹂躙された。(侵略された住人が暴虐にさらされるのは古代から近代までの戦争では当たり前ではあったが、それでもローマ帝国軍の暴虐さ・苛烈さは有名であった。)
弱点
ローマ帝国軍はこれは、ローマ人の弱点とほぼ重なるのだが、騎兵や弓兵があまり得意ではなかったとされ属州の異民族の補助軍団で補っていた。この弱点は後の元首ガリエヌスが歩兵中心から騎兵中心に切り替えたことから徐々に薄まって入ったようだが、やはりあまり得意ではなかったのかもしれない。
ゲルマン人軍団
西ローマ帝国時代になると、ローマ帝国軍の人員はガリアのゲルマン人が中心となっていき。かつてのローマ軍兵士とイメージとはかけ離れた洋装を呈したという。
東ローマ帝国
東ローマ帝国ではその後も騎兵などが発達し馬の全身を鎧で覆った重装騎兵カタフラクトや兵士も全身を鎧で覆うタイプの装備が発達した。ビザンツ時代のローマ軍も『レギオー』と呼ばれた。