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紂王

ちゅうおう

殷朝の第30代王。メイン画像は後述の藤崎竜版「封神演義」のもの。
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史実

王朝最後の。第30代目。本名は帝辛。
素手で猛獣と格闘してしかも打ち負かすほどの武術と、臣下の諌言を逆に論破してしまうほどの文才、知力を兼ね備えた名君だったが、奸臣の存在により次第に政治に興味を失くし悪政を敷く暴君と化し、西岐で挙兵した武王による反乱「牧野の戦い」で敗北王宮を放ち自害した。
夏王朝の最後の王、桀王と並び馬鹿王の典型例とされており、「夏桀殷紂」などと3000年近くに渡り暴君の代名詞扱いされていた。

しかしながらも、時代が経つに連れて考古学的研究からも「完全な悪人ではなかった」との声も増えてきている。
事実、紂王の代になってからは、それまでに行われていた生贄の儀式も撤廃したと、甲骨文字の文献が発見されている(後世にそれまで生贄となった人間の遺体が数え切れないほど出土されている)。その理由は「殺すより働かせたほうがいい」との考えがあったといわれている。世に言う「酒池肉林」も、その撤廃した儀式を新しく改良した「神を下ろすため」のものといわれている(が、真相は謎)。したがって、「人の命に対する慈悲は完全にはなかった」とは言い切れない。

この事は実は春秋戦国の頃から指摘されている事であり、孔子の弟子である子貢が論語の中で「彼の悪行は言うほどではないのでは?」と疑問を呈している。
また、妲己、もしくは彼女に匹敵するであろう女性の存在が未だに発見されていない事からも、彼が女色に溺れた愚か者であったという事も疑いが残る。

実際の所、彼が暴君であったと言う証拠は後の世に作られた歴史的資料だけである。
徳川慶喜今川義元の例もある様に、名君であると評価されながらも、結局は国を滅ぼしてしまった王も世の中にはいる。
逆に毛沢東スターリンの様に、創作されたとしか思えない様な歴史を持つ暴君も現実には存在していた。
遠い昔の人物であるだけに、実際の彼がどちらであるかは闇の中だろう。

創作物

紂王(封神演義)参照

関連項目

独裁者 暗君 暴君 名君 もっと評価されるべき
  封神演義 史記 妲己

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