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曖昧さ回避編集

  1. 16世紀ロシアのツァーリ、イヴァン4世の異称。本稿で解説。
  2. ゲーム『英雄*戦姫』の登場人物。→イヴァン雷帝(英雄戦姫)
  3. ゲーム『Fate/Grand Order』に登場するサーヴァント。→イヴァン雷帝(Fate)

概要編集

1530年8月25日に生まれる。

16世紀のロシア国家・モスクワ大公国イヴァン3世の孫にあたり、モスクワ大公に3歳で即位した(在位1533年~1547年)

当時政治の実権を握っていた大貴族を次々と抑え、反対勢力に対するテロや、専制的な支配を行っていたため「雷帝」と恐れられた。主にイヴァン(イワン)雷帝という異称でも知られている。

(ただし、ロシア語の渾名「グロズヌイ」は「峻厳な、恐怖を与える、脅すような」といった意味の形容詞で、この単語自体に「雷」という意味ではない。

元となった名詞に「雷雨」・「ひどく厳格な人」という意味の「グロザー」があり、この単語との連関から畏怖を込めて「雷帝」と和訳されただけ)。


人物としては、きわめて残虐・苛烈な性格であったため市民達からはロシア史上最大の暴君、16世紀最大のモスクワの雄弁家にして著述家と言われる。

早くに両親を亡くし大貴族達に実権を奪われていたため、幼少期はネグレクトを受けていた。クレムリン宮殿の塔から犬や猫を突き落とすのが趣味であったり、貴族の子弟を引き連れ市中で市民に暴力を振るっていた。戴冠後、常に処刑や拷問が行われ、イヴァンは拷問の様子を観察するのを好み、なにより流血を見るのが好きだったとされる。

最初の妻アナスタシアとは懇意で、彼女がいた頃は平静を保っていられた。しかしある日アナスタシアが不審死(化粧に使われた水銀が原因とも)をとげると、怒りに歯止めが効かなくなってしまう。

祭日生神女マリヤの庇護に捧げる大聖堂を建立。彼は「美しさに感動した余り、設計者が以上に美しいものを造らないように失明させた」との伝説も。

オプリーチニキと呼ばれる親衛隊を率いて自身の政敵(と見做した)大貴族の粛清や離反を計ったとされる都市で虐殺を大々的に行うなど恐怖政治を敷いた。


一方で宗教的教養を身につけ礼拝巡礼を好んだ、長時間の祈祷や時課を行い毎夜のように生神女マリヤのイコンに祈りを捧げ、好んで鐘つき役や聖歌隊長を勤めたという記録が残されている。学問を収めた知識人としての能力も高く名文を著してもいる。このように二面性が著しい人物であった。


生涯に7回結婚したが、成年に成長するまで生きていた子は少なかった。ある日、次男(長男は早世していたので事実上の長男)のイワンを誤って殺めてしまう。イワンの妻エレナが妊娠中、式典で正教徒が着るべき服を着ず、また部屋着一枚だった事から激怒し棍杖で猛打(結果、エレナは死産の上、そのまま死んでしまう)、その場に止めに入り抗議を唱えたイワンまでもを怒りに任せて撲殺してしまい、晩年は罪の意識に苛まれ続け不眠に悩まされるようになった。

この長子殺害の逸話は歴史画としてモスクワの美術館に飾られている。


1584年3月18日、側近とチェス中に発作で倒れ、そのまま生涯の幕を閉じた。


晩年に生きていた息子は2人いたが、後継者になったフョードルは病弱で子がないまま死去。その前に末子のドミトリーは謎の死を遂げていた(事故死と公表されたが、暗殺や亡命がささやかれた)。これによってモスクワ大公家(リューリク朝)は断絶。ロシアは皇位僭称者や外国勢力が入り乱れる動乱時代に突入する。それを制したロマノフ家(イヴァン雷帝の最初の妻・アナスタシアの実家)が新たなツァーリとしてロシアに君臨するようになる。

関連タグ編集

ロシア帝国 ツァーリ


参考リンク編集

イヴァン4世/雷帝

イヴァン4世 - Wikipedia

イワン雷帝とその息子 - Wikipedia:殴殺事件を描いた最も有名な風刺画。

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