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概要編集

ピョートル大帝(ピョートル・ヴェリーキイ、 Пётр Вели́кий)は通称であり、皇帝としての正式名称はピョートル1世

ロシア帝国の初代皇帝。それまで近代化に後れを取っていたロシアを、急速に近代国家へと発展させた巨人。


治績編集

近代化の基盤として、当時、ロシア北西のスウェーデンが押さえていたバルト海への進出を計った。まずはスウェーデンと同盟したオスマン帝国を叩くためアゾフ遠征が行われた。

ところが遠征は失敗、海軍の創設に注力することになる(後のロシア海軍の基盤となる)。


1699年にポーランドデンマークノルウェーと同盟を結び大北方戦争を起こしスウェーデンオスマン帝国を破った。

当時バルト帝国と呼ばれる覇者であったスウェーデンの覇権を打ち破って逆に東欧最強国家の座に就くことになった。

この実績を背景にそれまでのロシア君主の称号ツァーリにインペラトールという称号が加えられる。

支配者がインペラトールである事から以後のロシアを歴史学上はロシア・エンパイア、即ちロシア帝国と呼ばれるようになった。


また、占領したバルト海沿岸にサンクトペテルブルクという新しい街を建設する。

「聖ペテロの街」という意味だが、事実上本人の名前なのは内緒。

当該場所は湿地で地盤が緩く、莫大な人数の奴隷と税金が使われることになった。

1712年に工事が完了し、ソビエト連邦発足まで首都に指名された。


内政では西欧文化を積極的に導入し、上述の海軍創設だけでなく、徴兵制、無駄な行政のスリム化、工業への政府投資、正教会への統制強化などを行った。

長い髭(当時の西欧になかったロシアの慣習)を生やそうものなら髭税を課したというトンチキな税金が存在したことも。

またそれまで厳しい行動の制限が課されていた女性皇族たちもある程度自由に動けるようになり、他国に政略結婚として嫁ぐことができるようになった(これには異母姉ソフィアの影響も大きいとされる)。


経歴編集

父はロシアのツァーリだったアレクセイ・ミハイロヴィチ。母はアレクセイの重鎮の養女ナタリヤ・ナルイシキナ

母ナタリヤは父アレクセイの後妻であり、最初の妻(ピョートルの義母)マリヤ・ミロラフスカヤの一族に目の敵にされていた。

アレクセイ亡き後はマリヤの息子(ピョートルの異母長兄)であるフョードル3世が後を継ぐもののやや病弱だったため在位6年目で逝去。

フョードル3世の弟(ピョートルの異母次兄)イヴァンは弱視の上失語症だったためとても後継ぎにはできず、ピョートルは僅か10歳で即位した。

...が、マリヤの一族はナタリヤの一族や関係者を銃殺し、イヴァンはイヴァン5世として即位、摂政としてマリヤの娘(ピョートルの異母姉)であるソフィア・アレクセーエヴナが摂政を務め、ピョートルは共同統治者として格下げされてしまう。

その立場を利用して、外国人居住地に出入りして見聞を広めていた。


転機が訪れたのは1689年9月

クリミア遠征の失敗とへの有利な条約締結に不満を持たれたソフィアが失墜し幽閉されたことで、政府がピョートルに明け渡された。

1696年にはイヴァン5世も逝去し、単独政権に移る。


皇帝として実権を握った後も西欧訪問使節団に身分を隠して船大工として参加し、後のサンクトペテルブルクの建設に大いに役立てた。


彼に立ちはだかった最大の問題は後継者

最初の妻エヴドキヤ・ロプーヒナとは折り合いが悪く、ピョートルは密かに愛人を作っていた(後に離婚し修道院に軟禁された)。

その息子アレクセイ・ペトロヴィチは保守的で西欧化に反対していたため対立。

最終的に神聖ローマ帝国に逃亡したアレクセイを拘束して死刑まで言い渡してしまう(アレクセイは死刑判決を受けて間もなく獄中死)。


1722年に帝位継承法を定め、「後継者を生前に指定」できるようになった。

ところがネヴァ川に座礁していた船の救出作業の際に真冬の河に飛び込んでしまったことで体調を崩すと重度の膀胱炎を発症。

泌尿器系の感染症により壊疽が発生したことが致命傷になり、1725年1月28日に崩御した。結局、後継者の指名は出来ないままであった。


この後、秘密結婚していた妻マルタエカチェリーナ1世として即位するが、後継者問題は泥沼になっていくのはまた別の話。


人物評編集

身長203cmもの文字通り巨人であったと伝わる。

ロマノフ家の一族は高身長の者が多い(ニコライ2世のような例外もいる)。


庶民に混じって暮らした時代が長かったゆえに手仕事に優れ、ものづくりを好んでいた。

生まれつき怪力であった上に常にハンマーや斧を振るっていたため銀の皿を巻いて管にできるまでになっていた。


趣味は何と抜歯。使節団に参加していた時に習い、虫歯があると聞くや麻酔なしで臣下の抜歯を試みようとしていた。これには臣下も本気で怖がったという。ちなみに本人が抜歯を習った内容は初歩的な部分だったのでほぼ独学だったが、同時に腕は一流だったと伝わる。


現在でもその政治的手腕は高く評価されており、ヨシフ・スターリンウラジーミル・プーチンが彼に倣おうとした政治家たちの例として挙げられる。

当時も軍人や政治家からは尊敬されていたようだが、西欧化改革に反対する保守層からは当然不人気であり、国家の拡大のために税金が膨れ上がってしまい国民人気もいまいちだった。


表記揺れ編集

ピョートル1世 ピョートル一世


関連タグ編集

ロシア帝国 ロマノフ家 ロシア皇帝

リアルチート  ロシア


  • パタリロ!: ピョートル大帝という悪の組織が登場する。

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