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姫発

きはつ

武王。中国古代王朝である周の創始者。文王姫昌の次男。封神演義の登場人物。
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中国古代王朝である王朝の創始者。「武王」の名で知られる。

王朝の王朝の湯王、父の文王(姫昌)と共に聖王として尊崇された。

概要編集

プロフィール編集

生没年:〜紀元前1043年

贈名:武帝

姓・諱:姫発

父:姫昌

兄:伯邑考

弟:姫旦(周公旦)など

子:成王など


中国伝奇小説にして藤崎竜が翻案し連載した漫画『封神演義』の登場人物であり、『史記』などでは太公望紂王伯夷叔斉に関連する人物としても知られる。


経歴編集

姫昌の次男。姫昌の死後、周王となる。なお、兄の伯邑考は封神演義では紂王に処刑されているが史記などでも父に先立ったことを記録されている。武王が周王として即位太公望のススメで父に「文王」と諡し自身は武王と名乗り西岐を「周」と改め、紂王を打ち倒して統一王朝の初代の王となる(殷周革命)。

紂王討伐の際、賢人として知られる伯夷・叔斉から諌められたことでも知られる。

姫発は在位3年で早世したため、子の成王の補佐を姫旦らに託した。以後、周は戦国時代荘襄王(始皇帝の父)の宰相である呂不韋に攻められ完全に滅亡するまで800年間命脈を保った。


伯夷・叔斉について編集

伯夷・叔斉は元々殷末期の孤竹国の王の長男と三男だったが互いに国主の座を譲り合った末に流浪していた(国は次男が継いだ)。時が過ぎ姫昌に仕えようと赴くも姫昌はすでに亡く、後継ぎの姫発が率いる紂王討滅軍に出くわした。兄弟はこの時「父死して葬らず、ここに干戈(かんか)に及ぶ、孝と謂うべけんや。臣をもって君を弑(しい)す、仁と謂うべけんや(『十八史略』)」と諌め、姫発の周囲の兵たちに殺されそうになったが太公望により事無きを得た。


やがて姫発が紂王を討ち果たした後、兄弟は周の粟(穀物)を食む事を恥として首陽山に隠棲してワラビやゼンマイしか口にせず食べていたが、最後には餓死した。


彼らの行いは後世称賛され日本でも徳川光圀が史記「伯夷列伝」に感銘を受け、それまでの放埒な行いを改めたとされる。

また「三国志演義」では諸葛亮赤壁の戦いに至るきっかけになった孫権の家臣たちとの大論陣で伯夷兄弟と姫発の故事を語る場面がある。


フィクションにおける姫発編集

アニメ版CV:小林和矢/小野大輔

女好き美女の気配を察知すると髪の毛レーダーの様に反応し「プリンちゃーん」と叫び抱きつく。

正義感が強く根は真面目で周囲からの人望は厚い。

頭には常にバンダナを巻いている。


こちらは横山光輝版の封神演義。兄や父の死後、太公望の補佐を受け殷の打倒を果たす。


関連イラスト編集

ほとんどが藤崎版封神演義関係である。

斬り拓くスパコミ参加します。


関連タグ編集

封神演義 邑姜

姫昌 太公望

伯邑考 周公旦

紂王 妲己

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