概要
三皇五帝の1人としても数えられる、夏王朝の始祖といわれる帝にして聖王。
名は文命(ぶんめい)、諡号は禹、別名は大禹、夏禹、戎禹ともいい、姓は姒(じ)。姓・諱を合わせ姒文命(じぶんめい)と呼ばれることもある。
父は四罪の一柱にも数えられる鯀であるといわれており、禹は黄帝の8代後の子孫、若しくは顓頊の孫といわれているほか、黄帝の4代後の孫という説もある。
伝説によると、卓越した政治手腕を持っていたが、決して誇る事はなかったという人徳者であった為、人々から尊敬されていたとされ、治水事業に失敗した父の後を継いで黄河の治水を成功させた功績により、舜から帝位を譲られたとされる。また夏王朝創始後に塗山氏女を娶り夏后としたという。
尚、一説によると禹は本来、父の鯀と同一神であり、龍蛇の姿をした神であったといわれている。
『西遊記』の孫悟空が用いる如意棒はもともと禹の持物であり、海と川の深さを測るためにおもりとして使用されていたという設定。
信仰
彼を祀る廟宇を「禹王宮」「禹帝宮」という。治水の神として信仰を集め、他の水神と同一視される事もある。
清朝時代に道教の宗派「正一教」の第54代目張天師張継宗が書いた『神仙通鑑』では道教の三官大帝の一柱「水官大帝」は禹であると記されている。
また、浙(浙江省付近)、閩(福建省付近)、粵(広東省付近)の沿岸地域にルーツを持つ海神「水仙尊王」と同一視される人物の一人であり、台湾ではそのうちの五名「一帝(禹)両王(寒澆と項羽)二大夫(伍子胥]と屈原)」をまとめて水仙尊王として祀る形が多い。
『論語』には孔子が、禹を自身の飲食を少なめにして鬼神(死者・祖霊と神々・天地の精霊)に対して「孝」の徳を実践した人物として挙げる記述があり、儒教では聖人と見做される。
日本においても『古事記』に「文命」、『日本書紀』には「禹」の表記で記され、古くからその存在が認知されていた。
日本でも祭祀の対象となった事があり、山城国(現在の京都府南部)の歴史について記した『雍州府志』(1686年)によると、1228年(安貞二年・鎌倉時代)に鴨川五条に「夏禹廟」が建てられた記述がある。
江戸時代に入ると儒学が重んじられ、儒書に記された禹の知名度が向上する。
徳川家康の九男で尾張国名古屋藩の初代藩主となった徳川義直は禹王・帝堯・文宣王(孔子)・帝舜・周公旦の金像を作らせ、名古屋城二の丸にもうけた聖堂に祀った。
禹信仰は長らく京都内に留まっていたが、江戸時代に発生した洪水や冷害、火山噴火などの天変地異、飢饉が契機となり、治水事業や災害除けや五穀豊穣の祈願と共に禹王の碑や祠、祭壇が日本各地に広まっていた。