概要
豫州潁川郡長社県出身。
単家(たんか、あるいはぜんかと読み、権勢のない家柄、或いは寒門の意味)の出身である。
若い頃より学問に優れ、撃剣(げっけん。投げナイフのような戦い方を基本とした短刀による護身術のようなものだったらしい)の使い手だったとする記述が残っている。
情に厚く義理堅い人物で、友人の敵討ちに付き合った末に友人を逃し、一人投獄されたなんて逸話もある。
出身地を同じくする石韜と司馬徽の門下生となり、さらに諸葛亮・孟建と特に親しくなった。徐庶・孟建・石韜は学問を精密に理解しようと努力したが、諸葛亮は大要を掴むことに努めた。
諸葛亮は「徐庶・孟建・石韜は仕官すれば、州刺史か郡太守くらいにはなれるだろう」と評している。
劉備は徐庶を気に入ると、徐庶は諸葛亮を推薦し、これが劉備と諸葛亮の運命の出会いとなる。
後に徐庶の母が曹操軍の捕虜となったため、徐庶は魏に赴くことになった(石韜と孟建も魏に仕えている)。
最終的には魏にて右中郎将・御史中丞にまで昇進したが、諸葛亮は北伐を行なった際に徐庶や石韜の官職を知って驚き、「魏はよほど人材が多いのだろう。どうして徐庶らは重用されないのであろうか」と嘆いたという。
没年は不詳だが、明帝期に亡くなったと史書に記されており、『魏略』によれば、諸葛亮と同じころに彭城で病死したと記されている。
演義
『三国志演義』では、当初は単家の出身ということで単福という偽名を名乗っていた。
新野に駐屯していた劉備の目に留まるような振る舞いをして興味を抱かせ、軍師の重要性を劉備に説いたことで取り入ることに成功。
新野で徐庶の指揮下で訓練を行っていたが、そのことが樊城に駐屯していた曹仁の耳に入り、配下の呂曠・呂翔兄弟が危険視して早めに叩くべきと進言し、曹仁は受け入れて兄弟は五千の兵を率いて出陣。対する劉備軍は二千しかいなかったが、徐庶の巧みな戦術で返り討ちにし、呂曠・呂翔を討ち取る。それに激怒した曹仁は、副将・李典の制止を無視して二万五千の兵を率いて出陣するが、緒戦では李典が趙雲に敗走して敗れ、次に八門金鎖の陣で対抗するも徐庶に陣形を見破られて総崩れとなり、今度は夜襲を行うも見抜かれて敗北する。樊城に逃げ戻るが、樊城は別動隊として動いていた関羽に奪われており、曹仁と李典は許昌まで撤退した。徐庶は多勢無勢だった戦いを完膚なきまで勝利に導いた。
大敗北を喫した曹仁と李典だったが、曹操はむしろそうまで打ち破った敵軍師に興味を抱いて二人を咎めることはせず、その徐庶を配下に加えようと目論む。程昱の策により、徐庶の母を招いて世話をし、徐庶の母親の筆跡を真似た偽手紙を受け取り、止むなく曹操に下ることになるが、去り際に劉備に諸葛亮を推薦する。また、曹操のために献策はしないという誓いを立て、劉備の下を去っている。その後、母親の元に来た徐庶だったが偽の手紙のことを知った母親は徐庶を詰り、自殺してしまう。
これ以来曹操に対して臣下の礼を尽くす一方、積極的に策を授けることはなく、その内曹操の目にも止まらないようになった。
だが作中では度々孔明や龐統の計略を見破るシーンもあり、彼らに勝るとも劣らぬ傑物であったことが窺える。
主な登場作品
三國志シリーズ
Ⅶまでは至って普通の文官っぽい顔グラフィックだったが、
Ⅷ~Ⅹではかなりのイケメンになっている。
最近は撃剣の使い手という事を考慮し知力だけでなく武力も高い事が多く、前線でも後方でも場面を選ばず使える使いやすい武将となっている。
頭巾と左右に跳ねた髪型が特徴。活躍に関しては演義とだいたい同じである。
アニメ「横山光輝 三国志」では喜多川拓郎が声を当てている。アニメでは漫画と違って劉備の下を去った後もたびたび登場し、曹操軍内において劉備が有利になるように立ち回る役目を担う。
顕著なものでは、降伏勧告の使者を装って劉備に新野からの撤退案を提示、諸葛亮が孫権と同盟を結ぶ時間を稼ぐ為に一時様子見を曹操に献策、十万本の矢を得ようと画策する諸葛亮の後押しをするため更なる攻撃投入を進言等々、陣営を離れながらも劉備たちの大切な仲間の一人として強く描写されている。
真・三國無双シリーズ
徐庶(真・三國無双)を参照
演者はジェガン
母を趙雲が救出してくれたため、魏に降らずに済んだ。
以後も龐統や諸葛亮と並んで蜀漢の三枚看板軍師として活躍、劉備の天下統一に貢献した。
更に母も教育の才を買われ、蔡夫人の矯正教育を任ぜられている大出世ぶりである。
単福の名前で登場。曹操に降ったのち最後は死亡するという悲劇的結末を迎える。
三国志界のジョジョ
名前が似ていることから、三国志界のジョジョと言われている。