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大将軍になるまで

曹操の甥(族子)の1人である曹真の長男。は曹羲を初め5人もいる。


皇太子時代から曹叡の信頼が厚く、曹叡が2代目皇帝に即位すると散騎常持を得て武衛将軍になるなど、取り分け厚遇されていた。


239年に曹叡が病気に倒れると曹叡の弟である曹宇(正史は曹操の息子)の後を継いで大将軍に任じられる。そして3代目皇帝である曹芳司馬懿と共に補佐するように遺言される。


同年に曹叡が死去して曹芳が即位すると、曹爽は侍中の位を与えられた上に「剣履上殿・入朝不趨・謁讚不名」(意味・剣を帯び、靴を履いたまま昇殿し、小走りに走らずともよく、皇帝に目通りする際は実名を呼ばれない)という特権を与えられた。


司馬懿との対立

当初は司馬懿に父親に等しい対応で接するが、取り巻きらに唆されての権力独占を画策した。


まず初めに司馬懿を太傅に昇進させて実質名誉職に追いやることで権力を押さえようとしたが、だが軍権に関しては実績が重かったので、大司馬兼任を推挙するが不吉な先例があったとして却下されてしまった。また取り巻きは名声はあるものの実績が乏しかった。


その事を考えた曹爽は244年に氐・羌族と結んでに攻め込む(興勢の役)が、険しい地形に阻まれて大軍維持の補給が難しいことや王平等の頑強な抵抗、果ては氐・羌族を輸送係を任じたのが原因で犠牲者が続出してしまい氐・羌族の怒りを買う。


この結果、興勢の役は敗北に終わる。


正治の変

これが引き金となったのか以後は洛陽で遊興や宴会に勤しみ、政治は取り巻きらに任せるなど専横を振るう。この結果、魏の政治は大幅に乱れた。


248年には李勝(リショウ)に「荊州に赴任するに当たり挨拶と称して司馬懿の様子を見て参れ、動向を探ってこい」と命令。その結果、司馬懿は「重病で何かを忘れたり、器に注いだ飲み物を溢す事が多かった」とのだった。


その事を安心した曹爽は更に専横を振るい続けた。だが、翌年(249年)に事件が発生する。


1月6日、曹爽は曹芳のお供をして弟と共に狩りに出かけた。しかし司馬懿はこれをチャンスと見出して郭皇后(曹叡の後妻)を味方に付けて兵馬を指揮して洛陽の武器庫を占拠し城を閉門、クーデターを起こした。


取り巻きの1人である桓範は「曹家の縁がある許昌に向かい、兵馬を募らせて食糧徴発権を持つ大司農の印章を提示して司馬懿との決戦を行うべきです!」と唆すが、曹爽は「富豪のままでいさせてくれるなら、私は司馬懿に降ろう・・・」と言い司馬懿から軍籍解任の代わりに罪を許すと言われると、直ちに降伏した。

桓範はそれを見て「父親の曹真は立派な人だったのに貴様ら兄弟は豚か牛から産まれてきたのか?」と罵ったという。


謀反計画・処刑

しかし司馬懿は約束を反故にし、曹爽は兄弟揃って軟禁されて買い出しも自由にさせない徹底的な監視下に置かれた。曹爽は司馬懿に殺意があるのか窺う意味も込めて、食料の差入を申し入れた結果、食料が届けられたので安心しちゃっている。


…だが1月10日に張当が「曹爽は3月に取り巻き共々クーデターを起こそうとした」と自白。それを根拠に投獄され、同日に取り巻きや兄弟共々処刑された。


司馬懿は後に曹真の功績を考慮して曹爽の甥である曹煕に家を継がせている。


とはいえ実権は司馬一族が握ることとなり、曹一族は衰退。喧嘩を売る相手を間違えた結果、曹一族を事実上滅ぼすことになってしまった。


各メディアにおける曹爽

三国志

第60巻から初登場。司馬懿を太傅に祭り上げたはいいが、結局司馬懿に敗北。


コーエー三國志シリーズ

初期シリーズから登場しているが、能力は父に及ばない・・・・。


真・三國無双シリーズ

武器:刀(6) 鏢(7) 声:田中大文(6) 神奈延年(7)


「飲む、狩る、遊ぶ。すべては魏を立て直すため!それがわからぬ司馬懿殿ではあるまい!」(6:正始の変)

「私のやり方は間違っていない…邪魔をするな!もう少しで諸将の心は一つに……陛下もわかってくださる!」(同上)

「我らの手で洛陽を完全に掌握する!全軍、司馬一族に向けて進軍せよ!」(7猛将伝:洛陽動乱:魏)

「司馬一族は討ち取った!魏の栄華、常に曹氏と共にあり!」(同上:クリア時の台詞)

「おのれ、司馬懿…!恩を忘れ、曹家に、魏に盾突くとは…!」(7:正始の変:撃破時台詞)


晋の登場で五丈原の戦い以降が描かれるようになった6以降に、一般武将として登場している。

晋のシナリオ2~3(6基準、7はシナリオ3~4)で登場。興勢山の戦いで大敗を喫す。その後は史実通り専横を振るい、最終的に「正始の乱」により司馬懿に敗北し、処刑された。


司馬一族に凡愚呼ばわりされてはいるが、6では、司馬昭を警戒して後方に廻し、助けられると笑いに来たのか?と嫌みを言うものの、撤退を素直に聞き入れるなどまともな面もあった。

しかし7の陣地会話では張春華に対しては敬語で接したが完全に貶し尽くされては子供扱いされたり、挙句の果てには軽蔑の言葉を発言されて、恐れおののくなど、無能な部分をクローズアップしたようで散々な結果である。

一方で7猛将伝のアナザーIFの洛陽動乱では、無印の情けなさが嘘のように史実と異なり武力で司馬家一派を排斥しようと冷静沈着に策を練っている。


6・7Empではシナリオ「正治の変」では曹芳以降の皇帝がEmpシリーズでは登場しない(曹髦は7Empriesに登場する予定があったが、何らかの理由で削除されたために登場しない)ので魏の君主を務める。この為、史実では大将軍でありながら後に専横を振るった人物が魏の君主を務めているというとんでもない事になっている。後に無双ブラストで顔ありとなった。


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司馬懿 正始の変  曹真

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