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概要編集

西晋王朝の実質上の祖である司馬懿の妻であるため、姓名が史書に記されている数少ない女性の一人。

信憑性には疑いがあるが、「晋書」にはこのような逸話が書かれている。

司馬懿が病に倒れたとき、彼女が見舞いに来た。

この頃、既に栄達していた司馬懿は側室をもつようになり、張春華との仲は冷えていた。

そのため司馬懿は「憎たらしい老婆め、なぜ煩わせに来るのだ!」と罵った。

この罵倒に対して、彼女は怒りと恥ずかしさのあまり断食をして自殺を図った。──ただし、息子二人と共に、である。

これに慌てたのが司馬懿。急いで謝り事なきを得たという。

謝った後に司馬懿は「老婆は死んでも構わない。息子の身を案じた故に謝った。」と吐き捨てた。


これも信憑性には疑いがあるが司馬懿の若い頃に都合の悪い事を知られた下女を手討ちにして口封じをした、というエピソードもある。


一方で非常に博学であったと言われ、若い時には才女として名を馳せていたという。

247年に59歳で死去。西晋王朝成立後に「穆皇后」と追号された。

ちなみに「穆」とは慎み深いとかそういった意味であるらしい。


ちなみに、彼女が44歳の時、司馬懿との間に七男司馬榦が生まれている(司馬懿の次男司馬昭と司馬榦の年齢差は21歳となる)。このため、本当に夫婦仲が悪かったのかは不明である。


真・三國無双シリーズ編集

シュンカ

張春華(真・三國無双)を参照


架空人物疑惑編集

張春華の記述は唐代の晋書にだけ書かれており、

十八家晋史などの、昔の晋の歴史書には存在自体が全く書かれていない。

そのため、司馬師司馬昭の母は存在したが、

「張春華」という人物像は名前・逸話を含めて

唐代に捏造された架空人物であるという疑いがある。


余談編集

2010年の中国のドラマ三国志には、

司馬懿の妻として、曹丕から贈られた静妹という人物が登場。

こちらは架空の人物で何進の子孫という設定。

司馬師、司馬昭は登場するが、二人を産んだとされる張春華は登場しない。

静妹が妻になった時点ですでに司馬師と司馬昭は成人しているので静妹は後妻である。

静妹のモデルは張春華というより司馬懿から寵愛された側室の柏夫人に近い。

なお、ネタバレになるので詳しくは書かないが、静妹の立ち位置や最期は司馬師の妻だった夏侯徽に似ている。


関連イラスト編集

センシティブな作品センシティブな作品張春華(張皇后)張春華


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司馬懿 司馬師 司馬昭 三国志

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