概要
実父は夏侯尚、実母は曹真の姉妹の徳陽郷主、同母兄に夏侯玄がいる。曹真の長男である曹爽は従兄にあたる。
司馬師の最初の妻で司馬師とのあいだに5女を産む。もし男子が生まれていれば、司馬一族の後継者候補となり、曹一族と司馬一族の架け橋になっていただろうか、それとも障害になっていただろうか。
見識がある女性で司馬師も大事を相談するほど頼りにしていたが、夫が曹魏に対して不忠だと気づいてからは徐々に不仲になっていった。彼女の母や従兄の曹爽が曹一族なので当然といえば当然である。
結局、司馬師から毒を賜り亡くなる。享年24歳。
彼女の死後、従兄の曹爽は、何晏らと共に謀反を企てた疑いで処刑、
兄の夏侯玄は、李豊の司馬師の反逆に利用されそうになったところを司馬師に看破され、夏侯玄も李豊とともに大逆罪として捕らえられ、処刑された。
司馬氏の躍進の犠牲となった不運な彼女だが、司馬炎の時代に羊徽瑜の働きにより、皇后位を追号されたことで彼女の名誉が回復したことが唯一の救いである。